風疹の影響で聴覚障害児として生まれた子どもたちの教育に尽力し今月亡くなった仲本とみさんの告別式が13日、執り行われました。

1964年から65年にかけて沖縄では風疹が流行し聴覚に障害を持つ風疹児が多く生まれました。

小学校の教員だった仲本さんは本土のろう学校で指導法を学び聴覚障がいのある子ども達に発声や発音を教えるなど教育活動に奔走しました。

仲本さんの指導は県内で聴覚に障害がある子ども達への教育の先駆けとなりました。

13日、沖縄市で執り行われた告別式には当時の教え子たちの姿もありました。

▽教え子:
「とみ先生は今までの学校の中で言葉の発音とか先生から教わったものが多くて感謝しています」

「私は3歳の時から高校までいつもお世話になってとっても練習してお世話になっていました」

仲本とみ先生の同僚だった金城芳子さん:
「先生は本当に自分に厳しくて子どもたちや私たちに優しくてこの子達が普通の生活が出来るように本当に一生懸命頑張っていましたね。(仲本とみ)先生がいなかったら私たち(教え子と)会えなかったね。沖縄の大きな心の支えを失った気がします」

参列者はたくさんの愛情を注いでくれた仲本さんに感謝を伝えつつ最後の別れを惜しんでいました。