オトナミューズ創刊から10年の間に“生活の場を海外に移す”という大きな変化があった岩堀せりさん。海外生活を始める前と、その後の心境の変化などについてのインタビューをさせていただきました。示唆に富むエピソードの数々、お楽しみください。

岩堀せり in LA
「子どもという存在がこの10年で同志のような関係に。
親子からチームになったことが今はとても心強いです」

子どももすっかり大きくなりました

海外移住はLA一択!
気楽な旅行の感覚で二拠点生活のスタート

― 『otonaMUSE』は10周年を迎えます。共に歩んできたせりさんの10年を聞かせてください。せりさんは現在LAに移住し日本との二拠点生活ですが、LAにはいつどんなきっかけで行くことになったのですか?

「6年前、LAに家族旅行をしたときに娘がここに住みたいと言いだしたのがきっかけですね。ちょうど彼女の学校進学について考えるタイミングだったので、それなら海外の学校に行くのもいいね、いい機会だし住んでみようか、という話になりました。もともと、LAは結婚当初に夫婦で家を借りていてなじみ深い場所。それ以外の選択肢はなく、海外に住むのならLA一択でした」


 


― 海外移住の話が出てから、どのくらいで引っ越ししたんですか?

「最初はのんびり引っ越し準備を進めるはずでしたが、旅行がてら家を探しに来たら3軒目ですんなり家が決まってしまい、それなら学校も決めないと……、なんて一気に動き出して。不動産屋さんが家と同時に学校もピックアップしてくださり、子どもたちの受験もサポートしてくれましたし、英語が話せない私に変わり、友人が学校や引っ越しにまつわる手続きを手伝ってくれたのでいろいろなことが一気に進んで。移住の不安を感じる余裕もなく、気づいたらもう住むしかない状況でした」


 


― 行くまでに大変だったことは?

「子どもたちは実際は転校も嫌だっただろうし、英語は話せたけれど、急な受験で大変だったと思います。それを見ている私も日々ドキドキしたという大変さはありました。でも、暮らすことに関しては周りの人に助けてもらったので、私は一切困ることはなかったですね。最初の家はリフォームをしたんですが信頼をおいている業者さんに家具も含め全てをお任せしていたので、日本に一旦帰国し、戻ってきたら家ができ上がっている状態でした。日本の家を残してきたこともあり、自分のなかでは、LAに暮らすとは言っても休みのたびに帰るつもりだったので、そこまで不安になることもなかったかな。困ったら日本に戻ればいっか! みたいな感じ。友だちと離れる寂しさもあまりなかったですし、さあ、LAに引っ越すぞ! といった雰囲気でもなく、いつもより少し荷物が多い気楽な旅行ぐらいの感覚でスタートしました」

多様性を身近に感じられる経験は
海外移住ならでは

懐かしい創刊イベント!

― 移住は楽しみ半分、語学や治安などさまざまな不安があったかと思いますが実際に住んでどうでしたか?

 「たしかに治安はよくないので、未だに怖いなと思います。車を運転していても、日本では考えられない事件をたくさん見かける。車上荒らしもしょっちゅうですし、近所に泥棒が入ったみたいなことも当たり前にあります。日本とはレベルが違いますね。そういう恐ろしさは常に隣にあるかもしれないです。LAでは鍵は必ず閉めたか確認するし、玄関に入るときは急いで入るなど、そういう緊張感は常に持っていますし、寝るときも、もし今日泥棒が来たらどうやって逃げようかな、なんてそんなことばかり考えています。日本に帰ると、リラックスしますね。あと、私は英語が話せないので、アメリカの学校で大丈夫なのだろうかといった不安はもちろんありましたけど、それに関してはありがたいことにサポートしてくれる人が周りにたくさんいたので問題なし。私ひとりでは到底無理だったと思います。日々、助けられて生きていますね」


 


― LAに行くことで仕事のペースが変わることについてはどう思いましたか?

「それはもうしょうがないかなと。でも、思った以上に『otona MUSE』チームがLAに来てくれたので嬉しかったです。本当にありがとうございます。帰国したときに仕事があるのもありがたいですし、たまにしか帰ってこないのに継続的に撮影をしてくれて感謝の気持ちでいっぱいです。LAに来た直後は自分で選んでいることだからお仕事をいただけるだけで嬉しいし、ただただありがたい気持ちでいっぱい。でも、ビザの種類も変わりアメリカでも仕事ができるようになったのでせっかくだから働きたいなという気持ちも芽生えてきまして。さらに子どもが手を離れてきたタイミングで、そろそろ働かないと、というちょっとした焦りもあり、ここ最近はまた仕事をしたい気持ちが強くなってきました

― LAに住んでみて、他の国に住みたくなったことはありますか?

「暮らすという意味ではないですね。旅行で充分。最初からLAしかチョイスになかったですし、今もその気持は変わらない。LAは自然と都会のバランスもちょうどいいし、何より広いところに住みたかったんですよ。まあ、住んでみたら意外と田舎でしたけどね(笑)。基本、遊びに行くとなったらモールになり、どこも似たような雰囲気。おしゃれストリートと言われる通りも短いし5年間で十分に遊び尽くしました」


 


― 今、また引っ越すとなったらどこを選びますか?

「今はもう学校で選ぶ必要もなくなったので、家族それぞれ意見が分かれそう。子どもが学校に行かなくなるのなら日本に住みたいかな。でもLAで過ごした時間もすごく楽しかったので、日本を拠点にLAと行ったり来たりして、旅行するのがやっぱり楽しそう。二拠点生活はいいことしかないと思うので、続けていきたいです」


 


― ちなみに、せりさんは英語は苦手とおっしゃっていますが、改めて学びたい気持ちは?

「常にあります! 私、こう見えて10代のときから、週一で英会話教室に通うくらいには英語に意欲的なんです。この顔立ちなので、昔から当たり前のように英語が話せると思われますが、実際に話しかけられると黙ってしまう。毎回、相手に不思議そうな顔されるのが嫌でずっと学んでいるのになかなか身につかない。言語は才能だと聞いたので、残念ながら私に言語のセンスはなかったみたいです。子どもたちにも未だに勉強して、と言われるので、今でもアプリを駆使して勉強してはいるけど、単語がまったく覚えられないんです……。やってこなかったのではなく、きちんとトライしてきたけど上達しない感覚です。英語が話せたら最高なのになとは思いますね」

日本がやっぱり一番好き!
LAと行き来して
引き続きデュアルライフを楽しみたい

最近はおとなしくしています

― この10年を振り返ってご自身が大きく変わったなって思うところと変わらないと思うところを教えてください。

「変わらないのは英語を話せないところ。変わったのは……落ち着いたことかな。明日のことを考えるようになり、昔みたいにハイペースでお酒は飲まなくなりました。早寝早起きして、食生活も意識するようになって、規則正しい生活を送るようになりました。あと、友だちを増やしたいなと思うようになり人との関わりを持ちたいと思うようになったので、自分から声をかけるようにはなったかもしれないです。今まで出会わなかったような人と会ってみる機会も増え、交友関係は広がりました。ただ、二拠点が理由で変わったことはあまりないのかも? せっかくアメリカにいるんだから成長したいところですよね」


 


― 家族の形はここ10年で変化しましたか?

「子どもという存在から同志のような関係になってきているのはいいなと思いますね。大前提で子どもと親なのは変わらないけど、対等に友だちのように話せるようになり、ときにはこっちの悩みも相談するように。親子からチームになったことはとても心強いです」


 


― 10年は長いようであっという間ですが、昔思い描いていたオトナのイメージに近づいてるなと思いますか?

「しっかりしたとは思います。でも、一方で、精神年齢はそんなに変わらないのだなとも思いますね。私たち夫婦ももう50過ぎと50手前。老後の話をたまにするけど、あれ、意外とすぐじゃない!? と驚いています。ずっと私は、今が楽しければいいよね、今を楽しもうよみたいなタイプでしたが、未来について話すことも増えましたね」

夫婦仲良く♡

― 今描いている未来設計を教えてください。

「どのタイミングで日本に戻るんだろう、帰国したらどこで生活をするのか、LAのお家ををどうするか、など頻繁に考えるようになりました。日々状況が変わるので読めないですが、今後10年以内にいる場所は変わっていくのだろうなと。理想としては、日本拠点でいろいろなところに夫婦や家族で旅をするのがいいですね。やっぱり日本が一番好きだし、日本に家がないことは想像できないです。最後は便利なところがいいので、突然畑をやりたいなどと思わない限りは、都会に住みたいかな。日本とLAを行き来してる先輩夫婦がいて、そういう人たちを見てると、将来私たちもこうなるのかもねという話は夫婦でよくしています」


 


― 最後に、海外から『otonaMUSE』を読みどんな印象を受けるか教えて下さい。

「なんでしょう……値段が高い(笑)。LAでは日本の雑誌はなかなか置いていないので探すのも大変。発見すると嬉しいです。日本を離れてみて改めて思うのは日本の雑誌は海外の雑誌とはまた作りが違って面白い。読み物も多いし作りも細かいし、夢中になって読んでしまいます。若い雑誌も久々に読むと思わず熟読してしまいますね(笑)。これからも面白い本作りを楽しみにしていますね!」

SERI’S 2014-2024 HISTORY

〜2014

日本でモデルとして活動、2児を出産後も変わらぬ人気を誇る



2018

お子さんの進学等について考える中、タイミングよくビーチフロントのアパートメントの物件に出会い、LAにも家をかまえ、デュアルライフが始まる



この間もLAと日本を行き来し、日本滞在中はモデル活動を継続



2022

LA内で引っ越し



2024

結婚20年を迎える

岩堀せり
9際からモデル業をスタート。20歳で『ViVi』の専属モデルオーディションを受け、他にはない表現力とビジュアルで読者の圧倒的人気を得て、ギャルブームの立役者のひとりとなる。その後、『GLAMOROUS』などでも活躍。第1子妊娠中にLAに長期滞在したことなどもあり、2018年から東京とLAの二拠点生活をスタート。現在は「with online」でライフスタイルについての記事を連載中。

interview:HAZUKI NAGAMINE illustration:MASAMI WAKAYAMA

otona MUSE 2024年5月号より