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紫式部の父・為時はどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「長いこと出世には縁がない下級貴族だった。だが、漢詩文には非常に堪能だった。その能力が評価され、大国の国主に抜擢された」という――。

■10年も任官がなかった紫式部の父・藤原為時

筑前守と太宰少弐の任期を終えて都に戻った藤原宣孝(佐々木蔵之介)が、まひろ(吉高由里子、紫式部のこと)の父である藤原為時(岸谷五朗)の屋敷を訪れた。NHK大河ドラマ「光る君へ」の第18回「岐路」(5月5日放送)。

為時とは同年輩の親類で、友人でもある宣孝は、遠からずまひろの夫となる。ドラマでもその流れへの伏線として、宣孝は「まひろは打てば響くいい女になった。年を重ねて色香を増した」などと誉め言葉を投げた。また、唐ものの紅までまひろのために買ってきて、早速つけさせ、「よいではないか! 思い描いたとおりじゃ!」と満足げに言い放った。

まひろは、まんざらでもないように描かれていたが、為時が宣孝をうらやむ気持ちは、それ以上に強かっただろう。当時、中下級の貴族の多くは、国司になってひと儲けすることを望んだ。宣孝は変わった味がする唐の酒のほか、唐の薬なども土産として持参し、国守を経験してこその「富」を、為時の前で誇示していた。

為時は永観2年(984)、花山天皇(本郷奏多)の即位とともに式部丞、六位蔵人に任ぜられたが、寛和2年(986)に花山が出家して退位したのを機に官職を解かれ、以後、任官できずにいた。それだけに、国司を務めた宣孝の土産話も土産自体も、うらやましくて仕方なかったことだろう。

■道長政権の開始で起きたこと

この第18回で描かれたのは長徳元年(995)のできごとだが、この年はまさに「岐路」であった。藤原道長(柄本佑)の長兄で栄華を誇った道隆(井浦新)が死去し、あとを継いで関白に就任した弟(道長の次兄)の道兼(玉置玲央)も疫病で急死。

このため、道隆の長男ですでに内大臣の要職にあった伊周(三浦翔平)が、その後継になると思われた。しかし、一条天皇(塩野瑛久)の母で、道長の姉(道隆と道兼の妹)である詮子(吉田羊)の強い意向を受けて、後継には道長が選ばれた。

道兼が死去した3日後の5月11日には、権大納言で大臣になっていなかった道長を、内覧(天皇に奏上する文書を事前に見る役割で、職務は関白に近い)にする宣旨が下った。さらに、6月19日に道長は右大臣になり、太政官の首班にもなって、公卿の会議を主催するようになった。

こうして道長の世が訪れたことは、結果として、為時に幸いした。長徳2年(996)正月25日、道長が中心になって行われた最初の除目(大臣以外の官職を任命する朝廷の儀式)で、為時はまさに10年ぶりに官を得ることができたのである。