下野水天宮

 「波の下にも都はありますよ」との慰めの言葉と共に、8歳の安徳天皇は二位尼(にいのあま)に抱かれ、壇ノ浦の波間に没した。「平家物語」は、そう伝えている。

 ところが、鳥栖市の下野水天宮に市教育委員会が設置した案内板には、「下野水天宮由来史」を引用して「安徳帝は従者と共に下野にのがれ、この地で一生を終えられた」と記されている。水天宮は帝を祭るものと伝えられている、との記述もある。

 源平争乱から八百数十年、水天宮を訪ねてみた。5月5日、地域で伝承されてきた大祭(小竹祭)が開催されていた。木立に囲まれた神社に地域の方が集い、祭典がしめやかに進んだ。祝詞が流れ、拝殿を包む幕に描かれたツバキの社紋を、5月の風が揺らしていた。

絵・錦織瑞穂=青空アトリエみやき教室講師

文・野口幸男=鳥栖市蔵上町