第一章「怪談ラジオ局」(4)
――何で付き合うことになったんだっけ?
その成り行きというか馴(な)れ初めを思い返す間も無く、花音が逆襲に出た。
「正しい日本語って言うならさあ。さっき昇太くんが言ってた『おばけなんてないさ』って歌はどうなの?」
「え?」
「正しくは『おばけなんてい(、)ないさ』にすべきじゃないの?」
「それはどういう……」
「お化けは少なくとも生きてる人間じゃないけど、何らかの自由意思を持った意識体と推察されるのは間違いないでしょ? だったら、そんな高次元意識体を『おばけなんてないさ』って、モノ的に雑な扱いをするのは失礼なんじゃないの?」
――意識体って言い方、かっこいいな。
相変わらず日本語に怪しい部分がある気もするが、花音の言葉のセンスにはいつも感心しているのだ。
「さらには、お化け『なんて』という強い言葉まで使って全否定し、貶(おとし)めてるでしょ? 私が幽霊だったら、怒る案件だよ。激おこプンプン丸的な」
「なんだそれ」
いやしかし、そもそも「ないさ」とタイトルと歌詞で断言されている訳だから、この歌が「幽霊という実在しない存在」にとって失礼にあたるのかどうかを気にするのは、いささか的外れなのではないだろうか。
まあそれはさておいて――「ないさ」という言葉の使い方に花音が疑問を呈するのは、意外と鋭いのかもしれない。少なくとも、昇太はこれまで全然気にしてなかった。
「考えてみたら、逆に『お化けがある』とも言わないしなあ」
「でも、古典的な表現としてはあり得るよね」
「あ。なるほど!」
言われてみれば、「ある」は高校時代に国語の授業で習った記憶がある。確か「誰かある」という呼びかけは、「誰かいるか?」という意味だった。
しかし子供向けの歌で古典的表現を使うというのは、どういうことだろうか。
『いる』のか『いない』のか。『ある』のか『ない』のか。
「でも、この歌も私たちが生まれる遥(はる)か前、一九六〇年代に作られているから、その当時だったら古語的表現が残っててもおかしくないのかも。ひょっとして昭和世代の人たちは、疑問にさえ思わなかったのかもね」