日本の食文化に深い関わりのある鰻(うなぎ)は、土用の丑の日でもおなじみの魚です。 しかし今回ご紹介するのは、食材としての鰻の話ではありません。 これは鎌倉時代の武将・北条実時が体験した、横浜市港南区に伝わる不思議な鰻のいる井戸のお話です。

鰻井戸とは?

1276(建治2)年の5月、武将・北条実時は、現在の金沢区に移り住んだころに重い病を患ってしまいました。

海に近く気候が温暖な過ごしやすい場所ではありますが、病はなかなか回復せず、病状は悪くなるばかり。

実時は病を治すため、信仰している紀伊の国(現在の和歌山県)の那智山の如意輪観音のもとへと家来を遣わし祈りをささげることにしました。

するとある朝、実時の夢の中に観音さまが姿をあらわし、「この病はお前の運命で、どんな薬でもよくなることはない。しかし、今回は特別に日頃のお前の信仰に報いるための薬を用意しよう」と言いました。「今から言う場所に古井戸があり、その井戸の水を飲めば病はたちまちよくなる。そして、井戸には頭に模様がある鰻がいる」そう言って観音さまは姿を消します。

夢から覚めた実時は、お告げの場所にある井戸の水を持ってくるよう家来に命じました。

しかし、家来がお告げの場所でどれだけ探しても、木や草が生い茂っていてなかなか井戸は見つかりません。すると突然、村人と思しき老人が現れ「井戸の場所はそこですよ」と教えてくれました。老人の言う通りの場所で草をかきわけるとそこには井戸があり、家来はほっとひと息。

お礼を言おうと振り向きましたが、すでに老人の姿はどこにも見あたりませんでした。

井戸の中をのぞき込むと、頭に斑点のある鰻が泳いでいたといいます。

実時の死後、いつの間にか井戸から鰻の姿は消えてしまったと伝えられていますが、その後この古井戸は「鰻井戸」と呼ばれるようになり、現在も港南区にひっそりと残されているそうです。

フィールドワーク①上大岡駅から鰻井戸まで

鰻井戸へは、横浜市営地下鉄ブルーラインの上大岡駅と、隣の駅である港南中央駅のどちらからでも同じくらいの距離で行けるようですが、今回はアクセスの良さをとって上大岡駅からスタート。

さっそく鰻井戸を探しに行ってみます。

目的地に着く前に、今回の民話の主要人物である北条実時について少し調べてみることにしましょう。

北条実時は、1224(元仁元)年から1276年(建治2)年までを生きた鎌倉時代中期の武将です。2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で主役だった北条義時の孫にあたります。

武将でありながら法律制度や漢籍(漢文で書かれた書物)、和歌などを学び、書物を集めるなど学問を深く愛した文化人でもあったそう。

創建の正確な時期は不明ですが、実時は現在の神奈川県立歴史博物館『神奈川県立金沢文庫』の前身となる「金沢文庫」を作った人物であるとも言われています。

上大岡駅を出て港南中央駅方面へ歩くと、関ノ下の交差点が見えてきました。

この交差点を、京急本線金沢文庫駅に続く道である笹下釜利谷道路方面に進みます。

笹下川と並走するように道を直進すると……。

「旧・湘南信用金庫港南支店」の建物の横に、鰻井戸の黄色い説明版が見えてきました。

フィールドワーク②ミステリアスな鰻の存在

説明版には、冒頭のお話のさらに先の部分として、鰻井戸の水を飲んだ実時が一夜にして回復した、というところまでが書かれています。

鰻井戸がある場所は現在は私有地なので立ち入ることができませんが、閉ざされた柵越しにその様子を見ることができました。

鰻井戸と大きく書かれた看板に、井戸そのものが見えます。

蓋がされており中を見ることはできません。

調査を終えて

今回の鰻井戸は、参考文献に記載されている北条実時が病に伏した年から計算すると、約750年前からこの地にあったものであるということになります。

一見なんてことのない古い井戸に見えますが、740年以上というあまりにも長い時の堆積と、ミステリアスな頭に斑点があるという謎の鰻のイメージが混ざって、不思議な迫力と畏怖の念を強く感じました。

取材・文・撮影=望月柚花

 

【参考サイト・文献】

横浜市港南区HP 港南区の民話「北条実時とうなぎの井戸」
https://www.city.yokohama.lg.jp/konan/shokai/bunkazai/minwa/minw-22.html

望月柚花
ライター・フォトグラファー
1993年生まれのライター兼フォトグラファー。高校中退から数年間のひきこもり、アルバイト、副業ライターを経て、2020年よりフリーランスライターとして活動。趣味は読書と散歩、深夜のラーメン。