広岡達朗、齢92歳。近年では2021年、22年とセ・リーグ連覇を果たした(東京)ヤクルトスワローズを1978年に初のリーグ優勝、日本一に導き、82年からの在任4年間で西武ライオンズを3度のリーグ優勝、2度の日本一に導いた“昭和の名将”だ。今、最も歯に衣着せぬ提言を野球界に行う“プロ野球界の最重鎮”広岡が、宝島社から著書『勝てる監督は何が違うのか』を発売。smart Webでは、その一部を3回に分けて抜粋してご紹介する。第1回は就任3年目の24年シーズンに躍進を期待される、北海道日本ハムファイターズの新庄剛志監督について。(全3回の1回目)
『勝てる監督は何が違うのか』広岡達朗(著)(宝島社)¥1,320
新庄剛志はバカではない
第1章では、ジャイアンツ・原辰徳監督の功罪について言及した。パ・リーグにおいては、北海道日本ハムファイターズの「ビッグボス」こと、新庄剛志の言動が注目を集めている。彼もまた功罪が相半ばする監督である。
何しろ、2021年オフに行われた監督就任会見において、ド派手なスーツに身を包み、「優勝なんか、一切目指しません」と高らかに宣言したのである。
世間はこの発言に驚いたようだが、私は「おっ」と感じた。物事には順序がある。正しい手順を踏まずして、望んでいるものを手に入れることはできない。前任の栗山英樹監督が残した戦力では優勝は難しい。新庄の頭の中には「このチームは1年では優勝できない」という思いがあったのだろう。
心にもないのに「絶対に優勝します」と宣言するのではなく、「優勝は一切考えていない」と口にしたのは、現実に即した発言であり、「物事には順序がある」とわかっていたのではないだろうか? このことをきちんと理解した上で発言したのならば、なかなかたいしたものである。
2024年2月、DeNAとのオープン戦で試合を見詰める日本ハムの新庄剛志監督(時事)
また、新庄の体つきを見ればわかるように、50代を過ぎてもあの体型を維持しているということは、きちんとトレーニングを積んでいる証拠である。選手たちに「最近はダボダボのユニフォームが流行しているけれど、もっときちんと着こなせ」と命じた点も評価できる。
40代後半になって「今から現役復帰を目指す」と宣言したときには、「野球をなめるな」と腹が立ったものだが、指導者となれば話は別だ。
最近では、常にベンチで腕を組み、戦況をじっと見守っている監督が一般的だ。しかし、試合でも練習でも、常に選手と一緒になって動くことのできる指導者でなければならない。その点、新庄は選手と一緒に練習に取り組み、手本を見せることができる。キャンプでも一カ所にとどまることはせず、積極的に動き回っていろいろな場所から選手たちに厳しい視線を送っていた。
この姿勢があれば、口先だけの「ハウ・トゥ・セイ」ではなく、実際に手本を見せて「ハウ・トゥ・ドゥ」を教えることができる。
入団以来、なかなか才能を開花できない清宮幸太郎に対して、「痩せた方がいい」と助言したのもよかった。本人は「体重を落としたら飛距離が伸びない」と考えていたようだが、新庄の言う通り、「今だって伸びていないじゃん」というのが現実なのだ。そもそも清宮は技術的に未完成だ。闇雲に体重を増やせば身体のキレも悪くなり、確実性もますます落ちるだろう。
まずは「動ける身体」を手に入れ、反復練習によって技術を磨き、そこからウエイトのことを考えるべきである。やはり、物事には順序があるのだ。そして清宮は新庄の言いつけを守り、9キロのダイエットを行った。
就任早々の秋季キャンプでは選手間で守備位置を入れ替えてシートノックを行った。内野手が外野を守り、外野手が内野を守ることで、普段の練習では気づかない発見がある。そして、それぞれの立場を思いやることもできる。
突飛な言動ばかり注目されているが、実は新庄はいろいろなことを考えているのである。ここまで述べたように、就任直後から、新庄が取り組んでいるさまざまな施策にはきちんとした根拠があった。だからこそ、「なかなかやるわい」という思いで、好意的に彼のことを見ていたのだ。
一見するとでたらめに見えるが、彼は実はバカではない。
誰にでも頭を下げることのできる「新庄流」
就任1年目の秋季キャンプ、あるいは春季キャンプ、オープン戦では、さまざまな「新庄流指導」が発揮された。
ハンマー投げの金メダリストでスポーツ庁長官の室伏広治氏を臨時コーチとして迎えたこともそうである。現在はメジャーリーガーとなった吉田正尚も室伏氏に師事して、肉体改造に取り組んでいるという。
私としては、パワーアップのために筋力をつけることは理解できるが、それが本当に野球に適した筋肉なのかどうかは、新庄を含めた指導者たちがきちんと見極めることが大切であると考えている。その内容はともかくとして、かつての私がそうだったように異業種、異ジャンルの達人に教えを請うことは重要である。
ドラゴンズとの練習試合では、新庄自ら立浪和義監督に頼んで、清宮の打撃指導を求めた。自分でできないことは、できる人に頼めばいい。こんな簡単なことができない人間が多い中で、新庄は何のためらいもなく他人に頭を下げることができる。
彼のフットワークの軽さは、指導者としての大きな武器となるだろう。
就任直後のオープン戦を見ていて驚いたのが、外野手から内野手への返球の際に、強くて低い軌道のボールを投げる選手が増えていたことである。就任直後に、自ら車の上に乗ってバットを差し出して「この高さより低く投げなさい」と指示していたことが、早くも実戦で披露されていたのだ。
現役時代の新庄は、強肩を誇り、外野からの矢のような送球が売り物だった。もちろん、人によって肩の強い、弱いはある。けれども、たとえ肩が弱くても、「強く低く投げよう」と心がけることは誰でもできる。その意識があるだけでも、相手チームに与えるプレッシャーは大きくなる。
私はスワローズ監督時代、若松勉をレフトからセンターへコンバートした。本人は肩に自信がなく、「自分はレフトの方が向いている」と反発した。
それでも、チーム編成上、若松をセンターにする必要があった。そこで私は、「もしも肩に自信がないのならば、それを補うべく捕球の際には猛然とダッシュをして、モーションを小さく、強く低いボールをカットマンに投げるように心がければいい」とアドバイスをした。そして、セカンドベース上にネットを設置して、若松は何度も何度もダッシュを繰り返しながら強いボールを投げる練習をしていた。
若松のいいところは、指導者からの言葉を素直に受け入れて、必死に反復練習を行うところにある。その結果、1977年、1978年と2年連続でダイヤモンドグラブ賞(現・ゴールデングラブ賞)を獲得している。
正しい指示を与え、正しい練習をきちんと行えば、おのずと結果は出る。若松からも、いろいろなことを教わった。同様のことが新庄率いるファイターズでも実現した。時代が昭和から令和に変わろうとも、真実は不変なのである。
選手より目立ちたがる指導者などいない
しかし、新庄の「快進撃」もここまでだった。
いざ、ペナントレースが始まると苦しい日々が続いた。もちろん、就任直後から「優勝を目指さない」と発言していたように「1年目はじっくりと戦力を見極めつつ、若手選手を育てていこう」と目論んでいたのだから、いきなり結果は求めていなかったはずだ。
開幕からいきなり5連敗を喫したことで、前年オフから新庄一色だったマスコミは「やっぱりダメだったか」と揶揄する報道も目立った。
私自身としては、新庄の取り組みに対して好意的に見ていたが、開幕戦のセレモニーを見て唖然とした。報道によると7770万円の「空飛ぶバイク」で新庄は登場した。いかにも目立ちたがりの新庄らしいパフォーマンスではあるが、「さぁ、これから開幕戦だ」というときに、選手を差し置いて監督が目立ってどうするのだ?
監督でありながら「自分さえ目立てばいい」という考えが新庄にはある。それは指導者としては致命的な欠点だ。プロ野球の主役はあくまでも選手であり、監督ではない。第4章でも述べるが、監督が目立つ「○○野球」は邪道である。
そもそも、「空飛ぶバイク」を許可するコミッショナー、球団は、一体何を考えているのか? 球団は単に「話題になれば何でもいい」と考え、新庄は「目立てるのならば何でもいい」と考えている。つまり、球団と新庄の思惑が一致したのだ。
華やかにショーアップすることで、ファンの期待感は高まるかもしれない。しかし、それは決して野球の本質ではない。
そもそも、選手たちに対しては何と説明するのか? 私が選手だったら、「監督だけ目立ってどうするんだ」と鼻白んでいたことだろう。「選手不在」の監督など言語道断である。
就任1年目も、2年目も最下位に終わった。全球団に負け越し、完膚なきまでに打ちのめされた。フロントもファンも、もはや「新庄劇場」などと温かい目で見てはくれない。マスコミへの露出も減った。2024年シーズンは本当の意味で真価が問われる1年となる。
万波中正の台頭は著しい。加藤貴之が残留し、バファローズからは山﨑福也が加入した。それでも、他球団と比べれば戦力はまだまだ手薄だ。新庄にとっては、厳しい戦いが続くことだろう。
続きは書籍『勝てる監督は何が違うのか』(宝島社)をチェック!
※本記事は発売中の書籍『勝てる監督は何が違うのか』(宝島社)の一部を抜粋したものです。