韓国人Jリーガーインタビュー 
オ・セフン(FC町田ゼルビア) 前編

32シーズン目がスタートしたJリーグの歴史のなかで、これまで多くの韓国人選手がプレーしてきた。彼らはどのようなきっかけで来日し、日本のサッカー、日本での生活をどう感じているのか。今回は今季開幕からFC町田ゼルビアの最前線で奮闘する、FWオ・セフンに話を聞いた。

【最初に覚えたのは「キリカエ」】

「キリカエ」

 これがピッチで最初に覚えた日本語だという。2022年、Kリーグの名門・蔚山現代(現蔚山HD)から移籍した清水エスパルス時代に覚え、FC町田ゼルビアにレンタル移籍してきた今も大切に考えている。


FC町田ゼルビアで活躍する韓国人FWオ・セフン photo by Kishiku Torao

「自分自身、特に日本で意識している言葉です。FWなら、守備も素早く切り替えないといけないですよね。町田でも自分から多く使っている印象があります」

 それは、彼がまさにJリーグで習得したい部分でもあった。

 今季J1に昇格後、上位に食い込む躍進を見せているFC町田ゼルビア。その前線には、194cmの大型韓国人ストライカーが構えている。

 オ・セフン。

 ここまでリーグ戦10試合すべてに先発出場。3月30日のJ1第5節サガン鳥栖戦では、2点目と3点目のゴールを決め、3−1の勝利に貢献した。自身の1点目は「チームの狙いどおり」というショートカウンターから、2点目はクロスからのヘディングでニアサイドをぶち抜いた。ついにその体躯を生かして、結果を残したのだった。

 試合後、黒田剛監督が彼をこう評した。

「あの高さで上からヘディングで叩ける選手はJリーグにはなかなかいないなかで、前線で起点になれることはありがたいです。ターゲットマンになるだけではなく、前から規制を掛けられることも、彼の持ち味です。頼もしい選手だなという印象です」

 一方、オ・セフンも、自分を起用してくれる黒田監督への感謝の言葉を惜しまない。

「細かいところまで教えてくださる点がありがたいです。そのなかで自分がまずできることは、やっぱり前線でのヘディングでの競り合いです。黒田監督からもそこを求められていると感じます。ただ僕に直接それを要求するというよりは、周りに『セフンがうまくプレーできるように側でサポートしろ』と細かく話をしてくださるので、とてもありがたいと感じています」

 大型ストライカーが、今、キャリアの花を咲かせられるかどうかの重要な時間を日本で過ごしている。

【U−20W杯で主役のひとりに】

 もともと韓国国内でもその存在は広く知られていた。蔚山現代(現蔚山HD)のユースチームとして活動するヒュンダイ高では、1年次からレギュラーとなり、国内タイトルを総なめ。

 何より輝かしかったのが、年代別代表での実績だった。

 2015年のU−17W杯のギニア戦で1ゴールを記録。その後U−20W杯でもゴールを決めたことで、韓国史上初めて「U−17、U−20のW杯でゴールを決めた選手」となった。

 そういったなか、日本との縁もあった。2019年6月5日、ポーランドで行なわれたU−20W杯の決勝トーナメント1回戦で対戦。

 当時の日本にはこの試合にフル出場した菅原由勢(現AZ)ほか、途中出場した中村敬斗(現スタッド・ランス)、サブに鈴木彩艶(現シント=トロイデン)、伊藤洋輝(現シュツットガルト)らがいた。

 オ・セフンはイ・ガンイン(現パリ・サンジェルマン)と2トップを組んで先発出場。

 0−0で迎えた後半39分に、そのシーンは訪れた。左サイドから上がったクロスに対し、小林友希(現セルティック)に競り勝った。ヘディングで決勝ゴールを決め、チームを勝利に導いた。

 試合後、「よりモチベーションを高く、より準備をして臨んだ試合でした。勝てて本当に嬉しく思っています」と日本への思いを口にした。

 チームはこのあとに決勝戦まで進出。ウクライナに1−3と敗れたものの、世界の舞台で準優勝という結果を残している。

 この大会はノルウェーがグループリーグでホンジュラスを12−0で下し、そのうち9ゴールをアーリング・ハーランド(現マンチェスター・シティ)が決めた大会でもあった。韓国代表での2トップの相棒、イ・ガンインは大会MVPを獲得した。

 そうしたなかで、オ・セフンは間違いなく「主役のひとり」だった。日本戦の決勝ゴールのほか、グループリーグのアルゼンチン戦でも先制点を挙げていて、7試合2ゴールの活躍。大会後、チームは当時の文在寅大統領から晩餐会に招待されるほどの熱狂の中心にいたのだ。

 オ・セフンは大会中のインタビューでこういった自信さえも口にしていた。

「フィジカルは各大陸の選手に通じると感じています」

【韓国国内では苦しむ】

 しかし、国内でのオ・セフンは苦境にいた。

 トップチームでの結果がなかなか出ない。2018年には蔚山で3試合出場0ゴール、2019年のU−20W杯には2部の牙山ムグンファにレンタル移籍中、という身でプレーした。牙山ムグンファでは30試合出場7ゴールという状況だった。

 U−20W杯時に「年下だけど、サッカー観がしっかりしていてちゃんと議論できる」と信頼を寄せたイ・ガンインは、欧州で研鑽を続けていた。

 本人にできることといえば、「兵役を早く終え、時を待つこと」だった。2020年から1シーズン半に渡り、Kリーグ1部に所属する国軍体育部隊のチーム尚州尚武(サンジュ・サンム)に所属。2020シーズンは13試合で4ゴールを記録した。

 ところが、ここでもオ・セフンに再び苦境が。「日本との縁」を逃してしまうのだ。

 東京五輪最終エントリー落選。U−20代表時代の圧倒的存在感からすると、大きな挫折にも見えた。

 しかし、本人はこう語る。

「日本での大きな大会に出られなかった、という点での無念はなかったんですよ。むしろ落選の現実はしっかり受け入れました。その時、少しパフォーマンスが落ちていましたし。何より自分をより成長させてくれたキム・ハクボム監督の判断だったので、監督が決めたのなら受け入れようと。むしろ監督には感謝の気持ちが大きいです」

 こうした紆余曲折を経て、オ・セフンはその後日本でプレーすることになる。

後編「オ・セフンが目指す将来の選手像」につづく>>

オ・セフン 
呉世勲/1999年1月15日生まれ。韓国仁川広域市出身。ヒュンダイ高校を卒業後2018年蔚山現代(現蔚山HD)に加入。2019年には牙山ムグンファ、2020年からは尚州尚武に所属し、2021年途中から蔚山に戻ってプレー。2022年に来日し清水エスパルスでプレー、2024年からはFC町田ゼルビアに移りプレーしている。2019年U−20W杯で準優勝した韓国代表メンバー。

著者:吉崎エイジーニョ●取材・文 text by Yoshizaki Eijinho