Why JAPAN? 私が日本でプレーする理由

アルビレックス新潟 トーマス・デン インタビュー 前編

Jリーグは現在、じつに多くの国から、さまざまな外国籍選手がやってきてプレーするようになった。彼らはなぜ日本でのプレーを選んだのか。日本でのサッカーや、生活をどう感じているのか? 今回はアルビレックス新潟のDFトーマス・デンをインタビュー。まずは日本に来ることになるまでの経歴を語ってもらった。

中編「トーマス・デンが語るJリーグの魅力」>>
後編「トーマス・デンが語る日本の印象、生活」>>

【当時のこと? もちろん大変だったよ】

 フットボールの世界地図は広い。地球上で人類が生活を営んでいる場所なら、どこにでもボールを蹴る少年や少女がいるだろう。


アルビレックス新潟でプレーするDFトーマス・デン photo by Getty Images

 だからプロになった選手の出自も実に様々だ。例えば、2019−20シーズンのUEFAチャンピオンズリーグを制したバイエルンのレフトバック、アルフォンソ・デイビスはガーナの難民キャンプで生まれた。リベリア人の両親が母国の内戦を逃れた先で生を受け、幼少期に6人兄弟の大家族でカナダへ亡命し、このスポーツで大成した。

 Jリーグにも、似た境遇から身を立てたアフリカ出身の選手がいる。アルビレックス新潟のDFトーマス・デンだ。ケニアの難民キャンプで南スーダン人の両親のもと、5人兄弟の末っ子に生まれ、6歳の時にオーストラリアに移住し、同国の代表選手に上りつめた。

 デリケートな話だ。しかし人物像を描くうえで、まったく触れないわけにはいかない。オンライン上の初対面ながら、挨拶を交わした際に笑顔で応じてくれたこともあり、最初のいくつかの質問のあとに、ケニアでの日々について訊いてみた。

「当時のこと? もちろん大変だったよ。父は医者だったから忙しく、僕はいつも母に面倒を見てもらっていた。でも正直に言って、あまり覚えていないんだ」

 落ち着いた口調でそう答えると、彼は最後にまた微笑んだ。NGO団体の医者だった父は、家族と別れて難民キャンプに残り、数年後に亡くなったという。トーマス・デンの聡明かつ柔和な印象は、おそらくそんな父から受け継いだものなのだろう。

「確かにそうかもしれないね」と現在27歳の守備者は返答して、また白い歯を見せた。「父だけでなく、母や兄や姉からの影響もある。小さい頃から、他者、特に年長者を敬うように教えられてきたんだ」

【憧れはイニエスタ】

 物心ついた時には、足下にボールがあったという。ケニアの大地の上で始まった兄たちと球を追う日々は、オーストラリアに移ってからも続いた。そして7歳の時に、兄のピーター(元南スーダン代表DF)とアデレードのクラブに入り、本格的に競技としてプレーするようになっていった。

「僕のフットボール・ジャーニーは、そこから始まった」とトーマス・デンは続ける。「バルセロナの大ファンだったから、ロナウジーニョや(アンドレス・)イニエスタに憧れていた。生活は大変だったけど、いつもワクワクしながら、彼らのプレーを見ていたよ」。

 バルセロナのスター選手たちの姿を観ていれば、ひとときでも色々なことを忘れられたのかもしれない。いつしか彼のなかにはフットボールへの愛情が芽生え、パフォーマンスの向上とともにそれは大きくなっていった。その気持ちを糧にして、のちに移ったメルボルンでプロになる夢を叶えた。トーマス・デンが18歳の時だった。

「メルボルン・ヴィクトリーでの最初のシーズン、僕は確か13試合に出場した」と言う彼は、自らの過去の記録を正確に記憶している。

「次のシーズンには、オランダのPSVアイントホーフェンに期限付きで加入するチャンスをもらった。残念ながらうまくいかなかったけど、そこにはビッグネームもいて、彼らとの日々は刺激的だったよ」

 アヤックスに次ぐ21回の国内リーグ優勝回数を誇るオランダの名門ではリザーブチームに入り、当時コーチを務めていたルート・ファン・ニステルローイの指導を受け、今はアーセナルで活躍するウクライナ代表主将オレクサンドル・ジンチェンコと同時にピッチに立ったりもした。結局、オランダ2部リーグでは5試合にしか出場できなかったが、メルボルン・ヴィクトリーに戻ってからも、前を見てトレーニングに励んだ。

 翌2017−18シーズンには、Aリーグ初得点を記録し、チームの4度目のリーグファイナルズ優勝にも貢献。初出場したAFCチャンピオンズリーグでは、ライトバックとして川崎フロンターレとのホーム&アウェーの2試合に出場し、次のシーズンにはサンフレッチェ広島と対戦した。

 また東京オリンピックを目指した世代別のオーストラリア代表チームにも名を連ねるようになり、他国のスカウトからも徐々に注目を集めるようになっていった。

【幸運にも人生を好転させることができた】

 駆け足で彼のそこまでを振り返ると、このようになる。だがきっとその道中には、私たちには想像できないほどの苦難があったはずだ。

「本当に難しいスポーツだからね」と、トーマス・デンはあくまで競技面の難しさを強調する。

「フットボールのキャリアは、ジェットコースターみたいなものだ。いい時があっても、次の瞬間にうまくいかなくなったりする。これ以上ないってくらい、落胆したこともあった。その時にどう振る舞うか、どう向き合うか。それが大事だと僕は思う」

 具体的には、どんなことがあったのだろうか。

「たとえば、ケガだ。僕は2021年から1年以上もの間、股関節の痛みに悩まされた。あの負傷の厄介なところは、CTやMRIなどで精密に検査しても、なかなか原因がわからないってこと。激痛があるのに、医者に施せることは何もないし、いつになったら復帰できるかもわからない。どうしていいかわからなくなったり、絶望に襲われそうになったりもしたな」

 それでもトーマス・デンは、大好きなこのスポーツを続けた。フットボールは彼の人生を切り開いたツールとも言えるが、そんなことよりも、自然な感情が彼をピッチに向かわせた。

「フットボールに対する愛があったから、続けられたんだと思う」と彼は続ける。「幸運にも、自分はこのスポーツによって、人生を好転させることができたし、居場所も見つけられた。チャンスは誰にでも訪れるんだ」。

 最後の言葉は、彼の口から発せられると響きがまったく違った。

 機会とは、強く望んだ人に訪れるもの──。そう話すトーマス・デンに日本行きのチャンスが到来したのは、今から4年ほど前のことだった。

中編「トーマス・デンが語るJリーグの魅力」へつづく>>

トーマス・デン 
Thomas Deng/1997年3月20日生まれ。ケニア・ナイロビ出身。幼少期にオーストラリアへ移住。メルボルン・ヴィクトリーのユースチームに加入し18歳でプロ契約。2015年にAリーグデビューを果たした。PSV(オランダ)でのプレーを挟んで、オーストラリアでは計4シーズンプレーし、2020年に浦和レッズに移籍。2シーズンプレーしたあと、2022年からはアルビレックス新潟に活躍の場を移してプレーしている。オーストラリア代表としても活躍していて、2021年東京オリンピック、2022年カタールワールドカップのメンバー。

著者:井川洋一●取材・文 text by Igawa Yoichi