■これぞアイドルという二宮の一言
「バグってたんだと思う、設定が。最後の年、51公演ドームでやった。たぶんヤクルト(スワローズ)よりいたよ」(「午前0時の森」2024年3月12日日本テレビ系)

二宮和也は、嵐休止前の1年間をそう笑って振り返った。そんなライブでの二宮は、バラエティでは決して見られないようなセクシーな表情やカッコいい表情をしてくれると嵐ファンの男性が熱弁すると、二宮はこれぞアイドルという一言を返した。

「我々にとっても“夢の時間”なんだ、あれは」(「ニノさん」2019年6月9日日本テレビ系)

アイドルとしてのステージではキラキラ、バラエティ番組では飄々とふざけ、そしてドラマや映画では地に足のついた実在感たっぷりの人物を演じ、まったく異なる顔を見せてくれている。

■与えられるチャンスの裏で重ねた何倍もの努力

役者としてのキャリアをスタートさせたのは嵐結成前。ドラマには1998年の松本清張原作「天城越え」(TBS系)でデビュー。嵐結成後もコンスタントにドラマ出演していた。この頃は「照明さんが一番怖かった時代」(「午前0時の森」2024年3月19日)。撮影では、照明をなかなかあててもらえないような厳しさを味わった。

そんな経験をしたからだろうか。「嵐やってなかったら(俳優として)呼ばれてないです。それは忘れちゃいけないこと」(「あさイチ」2017年10月27日NHK総合)といった話を事あるごとに語っている。当時の彼ら男性アイドルは、他の若手俳優と比べて何倍もチャンスが与えられた。だがその分、実力を認めてもらうには、その何倍もの努力が必要だったのだ。

「なんでも器用にこなすように見えているかもしれないけど、本来は、人とコミュニケーションを取ったり集団行動をしたりするのは苦手」(「ぴあ」2022年8月8日)だという二宮。「ゲームのように操作性が利かないのが現実で、その中で仕事をしてきて、少しずつだけど、人の考えが想像できるようになってきたんです。苦手だからこそ、仕事や人に向き合ってきた」(同)

■ドラマや映画の主演、そしてハリウッドへ

彼がいわゆる“実力派”などと評されるようになったのは、蜷川幸雄監督の映画「青の炎」(2003年)に主演した頃だっただろうか。この頃から「Stand Up!!」(2003年TBS系)を始め連続ドラマでも主演を務めるようになっていった。

決定的だったのは2006年、ハリウッド映画「硫黄島からの手紙」に出演したことだろう。嵐という看板を超えてその名を轟かせた。そんな中でも前年に放送された倉本聰脚本のドラマ「優しい時間」(2005年フジテレビ系)が印象的だ。陶芸職人を目指す寡黙でナイーブな若者を繊細に演じ、役者・二宮和也のイメージを決定づけた。

このとき二宮は役作りのために専門家から陶芸を習っている。その時に言われたことが「心に残っている」と後に語っている。「これは他の誰にも真似できない、俺にしかつくれない皿だというものは、1枚なら誰でもつくれる。それよりももっと難しいのが、どこにでもある、割れたらすぐに替えが利くような、平凡な皿をつくることだって」(「ぴあ」2023年10月3日)

二宮は芝居もまったく同じだと思った。「大見得切って、発狂して、泣いて、人を刺して殺してみたいなのは誰にもできる」と。「それよりも、ただ普通に座って、飯食って、友達と話して、人の話を聞いて、泣いている人に寄り添って、そういうお芝居の方がずっと難しい。すごく地味だし、正直そういう平凡なシーンってやっていても日々の達成感はあまりないのかもしれないけど、そういうことがちゃんとできるようにならなきゃいけないんだって」(同)

■瞬間の感情を汲み取り、表現する

その後は、宮藤官九郎脚本の「流星の絆」(2008年TBS系)、「フリーター、家を買う。」(2010年フジテレビ系)、立川談春を演じた「赤めだか」(2015年TBS系)、そして「赤めだか」と同じタカハタ秀太監督による、同作で共演したビートたけし原作の映画「アナログ」(2023年)など、次々と話題作で主役を張り、それを体現してきた。

彼は自分が演じてきた役に「共感」したことは少ないという。なぜならその人物の性格を「たった2〜3個の言葉で表現するのはウソくさい」(「ぴあ」2022年8月8日)と感じるからだ。逆に「その瞬間の感情だけ」を丁寧に汲み取って演じるからこそ、実在感のあるリアルな人物を表現することができるのだ。

文=てれびのスキマ
1978年生まれ。テレビっ子。ライター。雑誌やWEBでテレビに関する連載多数。著書に「1989年のテレビっ子」、「タモリ学」など。近著に「全部やれ。日本テレビえげつない勝ち方」

※『月刊ザテレビジョン』2024年6月号