麻布には麻布台ヒルズ。銀座には、GINZA SIX。恵比寿には、恵比寿ガーデンプレイス…。

東京を彩る様々な街は、それぞれその街を象徴する場所がある。

洗練されたビルや流行の店、心癒やされる憩いの場から生み出される、街の魅力。

これは、そんな街に集う大人の男女のストーリー。

▶前回:3回目のデートで、終電を逃した38歳女を部屋に泊めた男。翌朝、彼が激しく後悔したワケ



Vol.11 『肩を並べて歩きたい/恵比寿ガーデンプレイス』美玲(28歳)


「桜、キレイに散っちゃったね」

4月下旬、日に日に新緑に染まりゆく明治通り。

この春はじめて日本の桜の季節を経験した美玲(メイリン)は、鮮やかだった桜の散り際に思いを馳せる。

「うん、日本の春は本当に美しかったね。でも僕は、この新緑も好きだなぁ」

そう言って微笑む恋人・アルノーの横顔を見上げながら、美玲は繋がれた手をキュッと握り直した。

― この美しい景色が、こんな風にアルノーとふたりで過ごす穏やかな時間が、ずっと続けばいいのに…。

ドイツからやってきた美玲とアルノーが、明治通りから一本入った広尾エリアに住み始めて数ヶ月が経った。

幼い頃に家族で台湾からドイツに移住した美玲にとっては、今回が人生二度目の海外への引っ越しとなる。

前回との大きな違い。それは、「自分の意思で移住を決めた」ということだ。

きっかけは、アルノーが日本での仕事チャンスを得たことだった。けれどそれでも、日本に住むことを決めたのは自分自身の決断だ。

長年のパートナーである美玲を尊重し、就職を決める前に相談を持ちかけてきてくれたアルノーの顔を見て、決意したのだ。

日本へ拠点を移し、新たなステージで彼と一緒にがんばろう…と。

しかし新緑のまぶしさとは裏腹に、美玲の心は不安で陰り始めているのだった。




「いってらっしゃい」

「いってきます。今夜は遅くなりそうだから、美玲は先に休んでね」

パタンと玄関ドアが閉まり、自然光に照らされたリビングが静寂に包まれる。

― また平日が来ちゃった。

週末に育んだあたたかで平和な心が、美玲の中でリセットされていく…。

日本への移住にあたり、アルノーに頼るのではなく自分の力で生活基盤を作ると決めた美玲は、来日後すぐに仕事探しを始めた。

ドイツ語、英語に堪能な美玲だが、日本語は勉強を始めたばかり。ドイツの出版社で長年勤めた経歴も、ここ日本で活かすことは難しい。

ただでさえ少ない募集の中、書類選考は通らない。面接は最終止まり…と、就職活動は難航中だ。



美玲には日本に友人と言える人物はおらず、平日はいつもひとり。対するアルノーは友人に囲まれ、仕事でもどんどん交友関係を広げていく。

― アルノーと心の距離を感じるわけじゃない。けど、差は開いていくように感じる…。

社交的でお酒も好きなアルノーは、居酒屋文化を気に入り積極的に予定を入れている。今夜も飲みに出かけるのだろう。

思えば日本に来てから、ふたりの食事はもっぱら自宅だ。

アルノーに誘われて飲み会に同行することはある。誘われれば楽しげに振る舞うが、結局はみんなアルノーの友達であり、美玲の孤立感は高まるばかりだった。



その週の金曜日、アルノーに誘われて飲み会に顔を出すと何やら盛り上がっている。

「アルノー。楽しそうだね!」

「あ、うん。なんでもないよ。こっちへおいで、美玲は何飲む?」

アルノーの態度が気になった美玲は、隣にいた女性に声をかける。

「何の話してたの?」

「アルノーが今日、親切な日本人に助けてもらったんだって!直子さんっていうらしいんだけど、それが綺麗な人で」

「え…」

美玲の目の色が変わり、アルノーは慌ててフォローを入れる。

「美玲、誤解しないで。彼女、ドイツ語が上手だったから話が弾んで…。連絡先は交換したけれど、何もないからね」

曇りのない瞳で断言するアルノーに、やましさは1ミリも感じない。しかし、美玲は良い気はしなかった。

「写真、見せて」

Facebookのアイコンを見せてもらうと、小さい写真ではあるものの、控えめで上品な雰囲気の漂う女性であることが遠目にもわかる。

「ふーん。…アルノーは、どんどん友達ができていいなぁ」

アルノーと日本人女性の出会い。

それを知った美玲の心に、やきもちのような感情が芽生えたのはもちろんのことだ。

しかし、それだけではない。

同時に湧き上がった感情は、彼の交友関係が広がっていくことへの、純粋な羨ましさだった。



翌週、月曜日を迎えた美玲の気持ちは、いまだに晴れずにいた。

― めぼしい会社の面接も終わったし、何しよう…。

仕事は決まらないし、友人もいない。

恋人との間に広がる格差に、焦りの気持ちはある。でもそれ以上に、意のままにならないこの数ヶ月に美玲は疲れていた。

― こんな気持ちで、ひとり家にいるなんて耐えられない…!

思わず外に出ると、青い空から柔らかな日差しが降り注ぎ、おだやかな春風が美玲の頬を撫でる。

歩いているうちに気持ちが上向いてきたことを感じた美玲は、思いたって恵比寿方面へと向かった。

美玲が目指すのは、広尾の街からも見えるひときわ高い建物だ。


「わぁ…東京の街だ…」

美玲がたどり着いた先は、恵比寿ガーデンプレイス。

38階のスカイラウンジに降り立った美玲は、東京の街の壮大なパノラマを目にして、いつも暮らしている街を上空から眺めるという体験に新鮮さを感じた。

みっしりと並ぶ店舗や住宅の緻密さは圧巻だが、所々にこんもりと緑が集まっているのがなんとも可愛らしい。

― 意外と緑の多い街なんだ。これからも、東京の魅力を知っていきたいな…。

展望を存分に楽しんでリフレッシュした美玲が地上階に降り立つと、ワクワクするものがたくさん見つかる。

第二の祖国・ドイツを思い起こさせるビール醸造場や、恵比寿駅まで連れていってくれる動く歩道。象徴的なグリーンのアーチの下にはスクエア型の広場があり、マーケットや催し物もあるらしい。

そして何よりも美玲の心を惹きつけたのは…その奥に佇むシャトーレストラン、『ジョエル・ロブション』だ。

荘厳な建物のありあまる存在感。それは不思議と恵比寿の街に溶け込み、街の魅力を増幅させているように思えた。

― こんなレストランで食事をしたら、ゆっくりアルノーとふたりの時間を過ごせるのかな…。

広場からレストランを見上げながら、美玲は妄想する。

しかし、まだ就職も決まっていないのだ。贅沢はできない、と心を引き締め帰路につくのだった。





それから1週間が経ち、ついに美玲は朗報を受け取った。

ドイツに親会社のあるヘルスケア企業から、ウェブマガジン運営のポジションで内定を得たのだ。

「ねぇアルノー!ついに仕事が決まったよ」

「本当!?美玲おめでとう、がんばったね。今夜はお祝いだ!」

喜びでいっぱいの美玲は、恵比寿ガーデンプレイスにアルノーと行ってみたいと思いたつ。たしか、スカイラウンジのフロアにもいくつかレストランがあったはずだ。

「嬉しい。そうしたら、一緒に恵比寿で食事しない?ガーデンプレイスっていって、美味しそうなレストランもあったの」

アルノーはまだ恵比寿ガーデンプレイスには行ったことがないだろう…。

そう考えて誘った美玲だったが、予想外にアルノーの顔が曇る。

「ガーデンプレイスかぁ…。今日はゆっくりお祝いしたいし、家で美玲の好きなものを食べようよ。僕が腕を振るうよ!何がいい?」

アルノーはそう言うと、買い出しに出るための支度を始めてしまった。

― えっ…ガーデンプレイス知ってるんだ。それに…私とは食事に出かけたくないってこと…?

乗り気でないアルノーを前にして、美玲は言葉を失う。そして実感する。

ここ最近、心が晴れやかでなかったのは、就職活動のストレスだけではない。

見て見ぬふりをしていたけれど、きっとアルノーと心の距離も開いていってしまったのだ。

― このまますれ違い続けたらどうしよう。けどこんな風にあしらわれたら、思ったことも言えないよ…。

祝福の日に、自ら水を差したくない。

手料理を振る舞ってくれると言うアルノーの気持ちを無駄にしたくもない。

ふたり笑顔で過ごしたい──。

その一心で美玲は、心のわだかまりに一度蓋をすることに決め、その夜はアルノーの手料理を楽しんだ。



それから特に波風が立つことはなく、美玲は順調に就職への準備を進めた。

いよいよ初出社を控えた週末。家でのんびり過ごしていると、アルノーに声をかけられる。

「ねぇ美玲。明日から新生活だね。少しだけお洒落して、今夜一緒に出かけよう」

突然の誘いに戸惑いながらも、美玲は言われるままにシャワーを浴び、支度をして、アルノーのエスコートでタクシーへと乗り込んだ。



「もしかして…今日ここで食事するの?」

到着したのは、美玲の心を惹きつけたあの外観のレストラン『ジョエル・ロブション』。

「うん。美玲、覚えてた?来週、君は29歳になるんだよ」

「すっかり忘れてた…」

アルノーによれば、先日ガーデンプレイスへ行くことを渋ったのは、今夜のサプライズを控えていたからだという。

「ごめんごめん。恵比寿ガーデンプレイスで食事イコール『ジョエル・ロブション』だと思ってたんだ」

恥ずかしそうに告白するアルノーが、愛おしくてたまらない。

「そんなわけないでしょ!ガーデンプレイスにはたくさん楽しいところがあるよ。上空から街を見下ろせる素敵な場所もあるの。

…ねぇアルノー。私、ここ最近、寂しくて不安だった」

「美玲、本当にごめん。ここ数ヶ月大変そうで、僕もどう寄り添えばいいかわからなくて…。これからはちゃんと、なんでも言い合おう」

「うん。私ね、アルノーと肩を並べて歩きたいの。でも来日してから足を引っ張っている気がして…。明日からがんばって仕事して、友達も作って、自信をつけて、一緒に前を向けるようにする」

「明日からも毎日が楽しみだね。僕は美玲が隣にいるから、前へ進める。いつもありがとう」

「うん!あ、これからはたまには2人でレストランへディナーに行こうね」

美玲の誘いに満面の笑みで応えながらアルノーは美玲の手をとる。

新たな地での生活、お互いに必死なのだ。きっとこれからすれ違うこともあるだろう。

― それでも私は、アルノーの手を離さない。転びそうになったら、互いに支え合う。遠くを見ていても、声を掛け合って足並みを揃える。そうやって、一緒に前に進むんだ。

美玲はギュッとアルノーの手を握り返し、彼の青色の瞳を見つめてニコリとうなずく。

ふたりは肩を並べて、『ジョエル・ロブション』へと入っていった。


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