重賞未勝利ながら多くのファンに愛されたヨシオが、腸捻転のため11日に亡くなっていたことがわかりました。9歳春まで現役生活を送り、通算成績は78戦6勝。

 ダート、芝、障害レースと様々な条件で出走し、3着以内は21回。16年には毎月出走し、1年で19戦して3勝。どんな条件でも頑張る姿にひきつけられた方は多いのではないでしょうか。森秀調教師は「“たくさん走らされてかわいそうだから、休ませてあげて下さい”って書いてある手紙とお金が匿名で京都馬主会に送られてきたこともあった」と逸話を明かします。と同時に「タフな馬やったね。普通は使おうと思ってもなかなか使えないけど、ヨシオは元気だった。使っても、使っても、へこたれない。気合がちゃうかった」とも。

 20年には、ジャパンC→チャンピオンズCを連闘したことが話題になりました。特にジャパンCでは、アーモンドアイ、デアリングタクト、コントレイルなど、そうそうたるメンバーの中にヨシオの名前が。出走に関しては賛否両論分かれ、なぜ出走したのか!?と批判的な声も聞こえてきました。同馬の最初の馬主、故仲山誉志夫さんの夢でもあったJC出走。森師は「フルゲートではなかったし、馬主さんはやっぱり出たいやろうから。豪華メンバーの中だったけど、ヨシオの声援も大きかった」と当時を振り返ります。

 引退後は22年秋から誘導馬へ。中央全10場のうち、唯一走ったことのない福島競馬場に拠点を移し、ヨシオ目当てに多くのファンが訪れました。トレーナーは「誘導馬になって全10場制覇。福島に行った時、ウイナーズサークルにえらい人が集まってんな〜と思ったら、ヨシオやった」と目を細めます。

「無事之名馬」を体現したアイドルホース。亡くなったことが発表された16日以降、SNSにはヨシオに関する投稿であふれていました。同馬を悼み、5月26日まで福島競馬場に献花台と記帳台が設置されます。どうか、安らかに。ご冥福をお祈り申し上げます。

20年のジャパンCで果敢に先行策をとったヨシオ
20年のジャパンCで果敢に先行策をとったヨシオ

著者:三嶋 まりえ