――成功後のキャリアをどのようにしていくか、ですね。

一度人気者になっただけで満足する人もいるでしょう。もっともっとと、さらに上を目指したくなる人もいるでしょう。時には勘違いして、態度だけ大きくなり中身がついていかない人もいるでしょう。違う方向に進み、文化的な取り組みや社会貢献をしたくなる人もいるでしょう。続けたくとも病気や事故で続けられなくなることもあるでしょう。

僕も病気をしてしまった側の人間です。当たり前に過ごせていた頃が本当は当たり前でなく、本当にありがたかったんだな、と日々思います。

99.999%側の人間として思うのは、本当に好きなこと、やりたいことがある人は惜しまずチャレンジし、自分が納得するまで続けるのが大事だということ。これ以上の贅沢はないし、これこそが本当の生きがいになるのではないか。誰かに褒めてもらうためでなく、自分のために生きてほしいと思います。

「列ができる前に並んじゃってる」子どもの現在

――病気に関しては、つんく♂さんは喉頭がんとの闘いの記録として『だから、生きる。』を2015年に出版されています。闘病生活や家族との関係性、ハワイへの移住など、私生活が仕事のやり方・仕事論に影響したことはありますか。

僕は「(流行りの)列に並ぶなよ」「ホリエモンみたいな天才の真似をしてもうまくはいかないよ」とサロンのメンバーにはよく話しています。が、かくいう僕も、何かと流行りや時代の流れが気になってしまうタイプ。

今は何が流行っているんだろう、なんであの本が売れているんだろうとか。僕はそういうことに鼻が効くタイプだったので、幼少の頃から「列ができる前に並んじゃってる」子どもでした。流行や旬の話題をいち早く察知して、何がどう騒がれてるのか、何がどう時代にハマってるのかを分析するのが好きでした。

そうした積み重ねによって、今のプロデューサーという仕事にたどり着いたんだと思います。20代後半にプロデュース業を始めて、15年くらいあっという間でしたね。

休息の時間もなく、気がついたら体を壊していた。