手術ができず、下半身はマヒ。そんな状態で、投薬治療とリハビリの生活。3️カ月ほどで退院したが、そこからも通院とリハビリは続いた。

「退院して自宅に戻ったのですが、介護のことでまた問題が発生しました。スペインにも介護制度はあるのですが、日本のように要介護認定されれば誰もが利用できるというわけではありません。ある程度財産が残っている家庭では、全額自己負担なんです。父は日本の大学に勤めていたので、多くはないのですが、それなりの蓄えがありました。

でも、自宅で介護サービスを受けると、月額日本円で数十万円かかる。それではとてもじゃないけどやっていけないので、父には悪いのですが、両親2人とも、日本で暮らしてもらうことにしたんです」(聖司さん)

イエズスさんと文恵さんの出会い

約40年前、イエズスさんと文恵さんは出会った。その頃、イエズスさんはいわゆる宣教師として日本に滞在していた。一方、文恵さんはキリスト教の文化や、教えについて知りたいと、その方面の勉強を始めたばかりだった。文恵さんは勉強の一環として、毎週のように近所の教会のミサに参加していた。

「ある日ね、クリスチャンのお友達に誘われて、そのお友達がやっている絵画展に出かけたんです。小さな絵画展だったから、来場者もそんなに多くはありませんでした。私は絵を一通り見て、受付に戻ったんです。そしたらちょうどパパ(イエズスさん)が、受付名簿に名前を書いていた。ロレンソ・イエズス。その名前を見た時に、なんだか、ピンときたんですよね。やっぱり導かれていたんでしょうかね(笑)」(文恵さん)

イエズスさんの方にも同じ思いがあったようだ。そこから2人は時々会うようになり、やがて結婚することになった。ただ、家庭を持つためには、それなりの収入が必要だった。イエズスさんは、スペイン語教師の職を得て、関東近県の大学で教えるようになる。

「結婚当時は日本に来て10年目くらい、30代の後半でした。そこから就職活動をして仕事を見つけて、その仕事先の同僚に今住んでいるこのマンションを紹介してもらうなど、いろいろな導きがありましたが、それまでの生活は楽ではありませんでした」

前述の通り、定年後は生まれ故郷のオルメドに夫婦で住むのがイエズスさんの夢だった。その願いは叶ったのだが、別の試練が待ち受けていたわけだ。オルメドで文恵さんが倒れ、日本に戻ることになった。スペインから日本まで、20時間以上の行程。後半では、ツアーナースの力を借りながら行った旅の計画から実施までを見ていく。(後編に続きます)

著者:末並 俊司