NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたることになりそうだ。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第15回は道長の兄、道隆が43歳で亡くなった背景を解説する。

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奈良時代は「長屋王の祟り」と恐れられた天然痘

「またもや、あの悲劇が繰り返されるのではないか……」

正暦4(993)年頃、九州から流行し始めた疫病が、翌年には全国的に拡大。藤原道長は、伝え聞いていたであろう、200年前の凶事を想起したのではないだろうか。奈良時代の天平9(737)年に起きた、天然痘の流行のことだ。

「天平の疫病大流行」と呼ばれた、このときのパンデミックは「ある人物の祟り」と言われた。当時の政治情勢を振り返ってみよう。

時代としては聖武天皇の治世だったが、実権を握ったのは、皇族の長屋王である。先代の元正天皇の代に、藤原不比等から長屋王へと実権が移行。聖武天皇に代替わりしたあとも、長屋王が政権首班として、権勢を振るうことになった。