社会福祉法人「訪問の家」の理事長である名里晴美さんは、重たい障がいを持つ人たちと「共にあろう」とする、私の大切な友人だ。他愛もない話をしていたときだった。彼女は僕にこういった。

「重度の身体障がい、知的障がいのある利用者さんで、身の回りのことは、ほぼ、どなたかのお世話になる人なんですけど、テレビで『嵐』が出てくると口角(唇の両わき)が動くんですよね。自信はないけど、たぶん彼女は、大野(智)さんが好きなんだと思うんです」

体が動かない。言葉も発せない。だから何かをしてあげてもお礼を言われることはない。それなのに、名里さんはその人のそばにいて、その人が何を感じ、何を幸せだと思うのかを全力で感じ取ろうとしていた。

彼女のような人たちは介護従事者と呼ばれる。介護従事者は、社会的に見て高い地位にある人たちとは言いがたい。

でも、彼女ら/彼らがいなくなった瞬間、重い障がいを持つ人たちは、他者との関わりから切断され、ひとりぼっちの存在になってしまう。そばにいることで人間の尊厳を精いっぱい守ろうとする仕事。介護の現場で働く人たちは、本当にすごい人たちだ、と思う。

私が心の危機を乗り越えられた理由

だが、このすばらしい物語は、心ある専門家の専売特許ではない。思えば、私自身、身近なところで同じような体験をした。

私は、2011年に脳内出血で生死の境をさまよい、2019年に母と叔母を火事で亡くす不幸に見舞われた。絶望の淵に立たされていたが、節目、節目を思い出してみると、連れ合いの穏やかな表情がまぶたに浮かんでくる。

当時の私は、毎晩、深夜まで、彼女に思いの丈をぶつけていた。正直、話した中身は、ほとんど覚えていない。だけど、彼女は私のそばにいて、文句も言わずに、黙って話を聞いてくれていた。この時間があったから、私は、心の危機を乗り越えることができた。