もちろん愛娘の言葉のつたなさは大した問題ではない。だけど、もし大人の世界で、この目線が当たり前の<日常>があったらどうだろう。

その日常は意外に身近なところにある。それは<福祉>の世界だ。

生活保護、介護、看護、養護、援助、介助、支援……誰もが知っている、当たり前のように使われている用語だが、じつは、すべてに「まもる(=護)」「たすける(=助・援・支)」という語が含まれている。

そもそも「福祉」とは「福」も「祉」も「しあわせ」を意味する。日本の福祉には、「私があなたを護り、助けて、幸せにしてあげる」という上下関係が刻み込まれているのだ。

上下関係の「下」に組み込まれることへの不安

人間は歳をとると、何らかの障がいを持ち、多くの人が福祉サービスを利用することになる。そんな未来に不安を感じるのは、きっと、私だけではないはずだ。

なぜか。それは、自分が朝から晩まで誰かに守り・助けられる存在になる、人様のご厄介にならないと生きていけなくなる、助けてくれる人たちに不平不満も言えなくなる、要するに、上下関係の「下」に組み込まれることが不安だからなのではないか。

みなさんはどうだろう。「してもらうこと」を「情けないこと」だと感じないだろうか。

アジア通貨危機が起きた1997年から1998年にかけて、失業者はいきなり50万人ほど増え、40〜60代の男性を中心に自らの命を断つ人が続出した。たった1年で自殺者数は8000人以上増え、14年にわたって3万人を超えた。

私たちにとって「死」よりつらいことはない。でも、住宅ローンを組み、家族を養わなければならないと考えていた少なからぬ男性労働者は、生活保護や失業保険に頼る、つまり、人に助けてもらうくらいなら死んだほうがマシだ、と考えたのだった。