埃まみれの日産「マーチR 」がありました。その価格は660万円となりますが、どのような個体なのでしょうか。
埃まみれのクルマ
「オートモビルカウンシル2024」の会場には、ピカピカに彩られた国内外の旧車たちで彩られていました。
しかし、その中にたった1台だけ、埃まみれのクルマがありました。
それが埼玉県所沢市のショップ「DUPRO」が展示した1990年式の日産「マーチR 」です。
さらに驚かされたのが、そのお値段で、なんと660万円。
しかもこの汚れた状態での販売だというから、驚かされました。
まずは、日産マーチR について振り返りましょう。
同車は、1982年10月に発売された初代マーチがベースとなっています。
マーチは、日産の新時代を担う世界戦略的小型車として誕生しました。
その手軽さを活かし、ワンメイクレース「マーチカップ」に代表されるようにモータースポーツでも活躍しました。
1988年8月に、日産は、マーチに高性能なモータースポーツベース車を投入しました。それが「マーチR」でした。
ラリー参戦を前提に、サスペンションやブレーキを専用の強化仕様とし、フロントビスカスLSDや5速クロスミッションを搭載。
そして、モータースポーツベース車であることから、装備の簡素化を図り、車両重量を740kgまで軽量化していました。
最大の目玉となるのが、日本初となるツインチャージャーエンジンです。
スーパーチャージャーとターボチャージャーという二つの過給機を組み合わせることで、低回転から高回転域まで全域に渡る高トルクと鋭いレスポンスを発揮。
その実力は、排気量1リッター当たりの出力が118psと、当時国内最強を誇りました。
さらにモータースポーツ参戦を前提としているため、1600ccクラスのレギュレーションに適合させるべく、敢えて排気量を930ccに抑えられていました。
その実力は、最高出力110ps/6400rpm、最大トルク133kgm/4800rpmと高性能なコンパクトカーでした。
後に、同仕様のロードカーとして、装備を豪華にした1989年1月にマーチスーパーターボが登場しています。
展示車は、マーチRに用意されていた3つのラリーパーツ仕様のうち、もっとも競技用の装備が整ったラリーパーツタイプ1装着車です。
その内容は、NISMO製ロールバー、PIAA製大型フォグランプ、NISMO製マッドガード、NISMO製スポーツステアリングホイール、MISMO製本革巻きシフトノブ、NISMO製パッド付サベルト製フルハーネスシートベルト、オイルクーラー、NISMOの車体カラーリングが装備されています。
ただ展示車は、エアコン付きということなので、同時装着不可とされたオイルクーラーは、外されている可能性が高いと見られます。
発売当時、エアコンを除いたマーチRラリーパーツタイプ1装着車の価格は、197.6万円でした。
当然、多くのマーチRは、モータースポーツ参戦を前提に購入されるので、現存車が少なく、とても貴重であることは間違いありません。
埃がその価値を高めていく? 謎の「バーンファインド」とは
また驚くべきことに、エアコン装着が物語るように、元オーナーは、ラリーパーツ装着車でありながら、公道のみを走行していたそうで、走行距離もなんと1万キロ台に過ぎません。
ある時期を境に車検の継続をやめ、乗らなくなったものの手放さずに、自宅の納屋に保管させていたそうです。
つまり、積もった埃こそが、このクルマが長年、当時のまま、眠りについていた証ということなのです。
近年、このような長年、納屋や倉庫に眠っていてものを発掘したクラシックカーを「バーンファインド」と呼ぶようになりました。
その多くが、改造などが施されず、オリジナルに近い存在であることが評価されているようです。
つまり、新たなユーザーがしっかりと手を加えれば、新車当時に近いクルマを手にすることができるというわけです。
ただバーンファインドの考えも変化し、近年は、その当時のままの眠りついた姿にこそ、価値があるという人たちも増えているそう。
そのため、埃を落とすと価値が下がるというなんとも不思議な現象が起きています。
極端な言い方をすれば、このマーチRの660万円には、この埃も含まれているというわけです。
このため、バーンファインドカーの扱いは、保管以外の選択は、その価値を維持するには、非常に難しい選択が求められるようです。
個人的には、当時の雰囲気を残すために、内外装の修理は最小限に留め、走行関係をしっかりと整備して公道復帰を果たしたマーチRの姿を見てみたいものですが、その未来は、次のユーザーに託されます。
既に店舗には、海外からの問い合わせもあるといい、このマーチRの未来を予想することは難しそうです。