関市の県博物館で11日から、戦国時代に羽柴(豊臣)秀吉が弟秀長の家臣に充てた書状「羽柴秀吉朱印状」が一般公開される。38年前に東京大史料編纂所が調査したことが知られていて、博物館が2023年度に実物を購入。6月23日まで期間限定で公開する。 (池内琢)

 朱印状は天正12(1584)年11月8日付で、秀吉から弟秀長の家臣、桑山重晴に出された。当時、秀吉は「小牧・長久手の戦い」で、徳川家康らの連合軍と交戦中。朱印状が出された11月は戦いの最終盤にあたり、秀吉は「(重晴から)書状が届き、念入りな報告を感心しています。11月5日夜に東駒野城を攻め崩したのは、もっともなことです」などと、重晴の武勲をたたえている。

 朱印状が出された11月、秀吉は連合軍側と和睦している。県博物館の担当者によると、桑山重晴が落とした東駒野城は、現在の海津市南濃町近くにあったとみられる。担当者は「小牧・長久手の戦いの最終盤の様子が伝わる貴重な史料だ」としている。

 入館料は一般340円、大学生110円、高校生以下は無料。月曜休館。