憲法第14条は「希望」

 朝ドラことNHK連続テレビ小説「虎に翼」の第44回で、ヒロイン・佐田寅子(伊藤沙莉)が作品のテーマである憲法第14条に接した。第1回の冒頭と同じシーンだ。一方、この作品は大物法曹人がこぞって評価しているうえ、水面下では複数の元裁判官が協力している。史上最強のリーガルドラマになりつつある。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】

 パンドラの箱にはあらゆる災いの元が詰まっている。寅子の場合、戦争がパンドラの箱であり、それが開いてしまったことから、愛する夫の佐田優三(仲野大賀)、やさしい兄の猪爪直道(上川周作)、住み慣れた猪爪邸、何不自由ない暮らしを失った。

 1946年秋だった第44回、寅子は出征前の優三と散策した河原に行き、闇市で買った焼き鳥を頬張る。そして、つぶやいた。

「一緒に分けあって、食べるって言ったじゃない。必ず帰ってくるって……」

 優三は1942年だった第37回、この河原で「またこうして美味しいものを食べましょう」と、約束してくれた。それを思い出した寅子は悲しみを新たにする。

 ただし、パンドラの箱には災いの元のほかにも入っているものがある。希望だ。寅子にとってのそれは、性別や人種などによる差別を禁じた憲法第14条だった。

 寅子は河原で第14条を目にした。焼き鳥をくるんだ新聞に載っていた。寅子は感動に震える。男女不平等の解消は女学校のころからの切実な願いだからだ。

 14条により、朝鮮人であることから不快な思いをさせられた明律大法学部の仲間・崔香淑(ハ・ヨンス)への差別めいたことも許されなくなった。

 信条による差別も14条は禁じているから、思想犯の疑いを掛けられた香淑の兄・崔潤哲(ソンモ)が特高警察に追われることもない。そもそも終戦と同時に日本による朝鮮支配は終わり、間もなく特高警察も廃止された。

 14条は華族や貴族を認めないとも定めている。やはり寅子の仲間で、特別扱いに息苦しさを感じていた桜川涼子(桜井ユキ)は世間の好奇の目から解放される。

 女性であるがゆえに同じく仲間の山田よね(土居志央梨)は売られそうになり、大庭梅子(平岩紙)も妻だから一方的に離縁されたが、これも変わる。

 振り返ると、この作品の第44回までは、寅子たちが14条に辿り着くまでの壮大な伏線だった。吉田恵里香氏による計算し尽くされた脚本には目を見張る。

 もっとも、現代も14条が遵守されているとは言いがたい。2018年には10大学の医学部で女性の受験生が不利になる工作があったことが発覚したし、今も企業での待遇差別も散見される。ほかの差別も残る。寅子たちの受難の日々もまだ続くのだろう。

実際の法曹界の男女差

 実際の法曹界の男女差の実態はどうだったのか。司法修習15期生で1963年に裁判官となった元東京高裁部総括判事の木谷明弁護士(86)に聞いた。

「司法試験に合格して研修所に入った段階で、女性は極めて少数でした。50人程度の1クラスに2、3人です」(木谷氏)

 当時の司法試験段階に男女不平等があったかどうかは確認しようがないが、女性は不自然なくらい少なかった。

 寅子の先輩・久保田聡子(小林涼子)のモデルである故・中田正子さんは差別された。1937年だった第26回、久保田は自信のあった口述(2次)で落ちたが、中田さんの試験官はのちに「生意気だから落とした」と認めている。

 一方で木谷氏は東大法学部在学中に合格した。当時の難易度は1万人が受験して300人が合格する程度だったという。

「裁判官への任官にも女性には事実上大きな差別があったようで、問題を感ずるようになってはいました。しかしながら、自分が男性で、『差別される側でなかった』ことなどから、問題意識が極めて強かったわけではありません。ドラマを見ていると、女性にとって、これが重大問題であることがよく分かり、今更ながら自分の憲法感覚の鈍さにあきれています」(木谷氏)

 ちなみに木谷氏は1997年の東電OL殺人事件において、1審無罪になった外国人被告(控訴審と上告審で有罪、再審で無罪確定)の勾留を認めず、有罪率99.9%の刑事裁判で無罪判決を30件以上も出した人。寅子のモデルである故・三淵嘉子さんは新潟家裁所長を務めたが、木谷氏は水戸家裁所長などを経験した。

 木谷氏はこの作品を欠かさず観ており、「素晴らしい」と語る。元最高裁判事の桜井龍子氏(77)は涙を流しながら観ているという。他にも、日弁連会長の渕上玲子氏(69)ら大物法曹人がこぞって観ている。

史上最強のリーガルドラマ

 大半のリーガルドラマの場合、法曹人は「これはドラマ」と割り切って観ている。たとえば、フジテレビ「イチケイのカラス」(2021年)の主人公・入間みちお(竹野内豊)はいちいち事件を自分で調べ直したが、それでは裁判の仕組みを土台から否定することになってしまい、実際にはあり得ない。

「虎に翼」は違う。法曹人たちは食い入るように観ている。描写が限りなく事実に近いからである。象徴的なのは「帝人事件」(1934年)をモチーフとした「共亜事件」(第18〜25回)だった。寅子の父親・猪爪直言(岡部たかし)が巻き込まれた疑獄である。

 共亜事件において陪席裁判官だった桂場等一郎(松山ケンイチ)が書いた無罪の判決文の中にこんな一文があった。

「あたかも水中に月影をすくいあげようとするかのごとし」

 水中の月影はすくいあげられない。嫌疑が事実無根であることを表した。これは「帝人事件」で陪席裁判官だった故・石田和外さんが実際に書いた判決文の一節である。

 名裁判官として知られた石田さんは1969年に第5代最高裁長官になった。桂場のモデルは石田さんである。戦後、司法省(現・法務省)人事課長になるところも一緒。桂場も裁判官の頂点に立つのか。

 内容が事実に近い背景には明律大のモデルである明治大と法曹界の協力がある。明治大法学部の村上一博教授が法律考証に当たり、同大が資料を提供している上、複数の元裁判官が協力しているという。だから史上最強のリーガルドラマになりつつある。

 法律とは関係ないが、三淵さんの歩みもなるべく忠実に再現しようとしている。三淵さんは1941年に実家の武藤家の書生で明大卒業生だった故・和田芳夫さんと結婚した。寅子、優三が結婚した年と同じだ。芳夫さんは終戦後、帰宅を果たせぬまま死去する。これも優三と一緒である。

 ドラマは事実に寄せすぎると面白みに欠けてしまいがちだ。リーガルドラマは特にそう。しかし、この作品は例外。吉田氏の脚本と伊藤沙莉ら出演陣、演出の力にほかならない。

 たとえば第41回、寅子と幼い優未、義姉の猪爪花江(森田望智)と長男・直人、次男・直治が、疎開先から寅子の父親・直言と母親・はる(石田ゆり子)の暮らす川崎市登戸に戻ってきた晩のこと。

 戦時中に花江を支えようとした直人と直治に対し、はるが「よくがんばりましたね」と誉めると、途端に2人は泣き始めた。

「もういいのよ。その役割は、これからはおばあちゃんとおじいちゃんが引き受けますから」(はる)

 胸を突かれた。直後に直人がこう漏らすと、一転してクスリとなった。

「疎開先のヤツらがいつもいじめてきて。かあさんには言えないし……。僕には分かる。トラちゃんに言うと、面倒なことになるって」(直人)

 戦死した父親・直道(上川周作)譲りの話し方、寅子のキャラクターを読み切っているところが愉快だった。

 物語は間もなく中盤に入る。寅子の今後、仲間たちの生死が気になる。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。前放送批評懇談会出版編集委員。

デイリー新潮編集部