90年代初頭、香港の空港がまだ町中にあった頃、着陸する飛行機から異様な一角が見えた。「積み木でも無理」と思うほど密集したビルはすべて薄汚れ、屋上にはおびただしい数のアンテナが森のように生えている。厳しすぎる住環境が一目でわかるその一角は、日本で「九龍城」または「九龍城砦」、地元で「九龍城寨」と呼ばれる大型スラム街だ。

 日本を含む海外で絶大なカルト人気を誇ったこのスラム街が、今また香港で大注目されている。きっかけは5月1日に香港と中国大陸で公開されたアクション大作「九龍城寨之圍城(英題:Twilight of the Warriors: Walled In)」だ。初日の興行収入は500万香港ドル(約1億円)と、過去の香港映画で歴代2位を記録。その後もリピーターが続出し、21日には興行収入7000万香港ドル(約14億円)突破が発表された。

 10年以上前に出版された小説とその漫画化作品をもとにしているため、実写映画化の大成功例でもある。ただし、映画版でキャラクターたちと並ぶ存在感を放つのが、総製作費の6分1にあたる5000万香港ドルをかけた九龍城寨のセットだ。その圧倒的な再現度からは、九龍城寨に対する香港の並々ならぬ“愛情”を感じる。折しも今年は九龍城寨の“完全消滅”から30周年。それでも衰えない人気の理由を探るべく、まずはかつての姿を知る香港人に話を聞いた。(全2回の第1回)

映画館には「記念来場」の観客も

 九龍城寨の取り壊しが発表されたのは、香港返還が確定した1984年の英中共同宣言から3年後。実際の工事は93年から94年にかけて行われ、現在の跡地には緑豊かな公園と九龍城寨をしのぶ無料の博物館がある。普段はさほど混みあわないが、「九龍城寨之圍城」の公開から5日後に訪れた際は意外なまでに人の姿があった。

 博物館では九龍城寨の歴史が簡単に紹介されているが、宋朝にまでさかのぼるその詳細は非常に長くて深い。スラム街として“頭角を現す”のは、香港政庁(英国)と中華民国、中国のいずれも手出しができなくなった50年代から。『九龍城寨の歴史』(みすず書房)は60年代を含めた20年間を「暗黒の時代」としている。70年代にはわずかながら改善され、80年代には警察の巡回が行われるようになった。

 公園のすぐ近くにある映画館には「九龍城寨之圍城」の巨大看板が設置され、記念来場と思われる香港人が次々と記念撮影にいそしんでいる。やがて上映が始まった満席の場内はあっという間に「あの頃の香港」へ引き込まれていった。描かれている年代は「暗黒の時代」が終わり、ベトナムから難民が流入していた80年代初頭だ。

 主人公はレイモンド・ラムが演じる中国系ベトナム難民の陳洛軍。香港に居場所を求めた彼は、偽造身分証の売買で自身を騙したマフィア(サモ・ハン・キンポー)から金が入っているはずの袋を奪い、九龍城寨に逃げ込む。救いの手を差し伸べたのはもう1人の主人公、「暗黒の時代」に抗争を制して九龍城寨のボスとなった男・トルネード(ルイス・クー)。そして、陳洛軍がただの逃亡者ではない事実と九龍城寨の取り壊しを見越した利権をめぐって、激しい戦いが幕を開ける。

 監督は「リンボ」「モーターウェイ」などのソイ・チェン、アクション監督は日本の谷垣健治。リッチー・レンやアーロン・クォックといったベテランからテレンス・ラウ、トニー・ウーらの新世代まで、主要出演者たちが豪快アクションを披露する。人の絆を軸にしたストーリーはさほど複雑ではないものの、フラグを丁寧に回収していくため鑑賞後のカタルシスは大きい。ご都合展開をむしろ「そうこなくては」と思わせる構成は巧みだ。

路上に空の注射器が落ちていた

「九龍城寨のすべてがとてもリアルに再現され、まるで昔に戻ったかのようだった」と映画の感想を語るのは、九龍城寨のすぐそばで生まれ育った60代の香港人男性Aさんだ。

「70年代初頭から取り壊される90年代初頭まで、数えきれないほど行きました。通りに面した九龍城寨の外側には普通の店舗が並んでいて、一家で飲食店に入ったり、プラモデル店を覗いたり。中学時代は親友が住人だったので中に行くことが多かったですね。母親に頼まれ、中の工場に空き容器を持参して醤油を買ったこともあります(笑)」

 ちょっと待ってください。内部は「魔窟」だったのでは?

「中の様子はやはり珍しいものでしたよ。友人が住んでいたのは2階にある小さな部屋で、朝でも電気をつける必要があるほど真っ暗でした。窓はありましたが、すぐ外が隣のビルの壁なのでどれも開けられません。隣のビルが建つまでは開けられたんでしょうね。

 道は暗くて滑りやすくて、鼻をつくのは特別な化学臭。いたるところに電線があって、排水溝や溝にさまざまな色の水が流れていました。無認可の工場が多かったからです。あとは路上に空の注射器が落ちていたり、ネズミが走り回っていたり、廃品置き場のそばに犬の死骸があったり。『九龍城寨之圍城』は本当によく再現しています。ただ、実際はもっと暗かった」

地元の人々にとっては普通の生活圏

 子ども時代の思い出としてはなかなかハードな内容だが、それでもそこには“生活”があったとAさんは続ける。

「近所の住民にとっては特別な買い物や食事の場所。中は10分くらいで通り抜けられます。もちろん、内部に“良くないもの”があることも知っていましたが(笑)、私は道に迷ったことも、トラブルに巻き込まれたこともありません。母親も心配せず、地元では普通の生活圏でしたね。当時は九龍城寨より貧困のほうが恐ろしかった」

 同じ60代の香港人Fさんは別の下町で生まれ育ったが、「親には『あそこへ行くな』と言われていた」と語る。ただし、日常的に通う場所はあった。

「歯医者です。当時の香港は返還前ですから歯医者は英国のライセンスが必要。九龍城寨とその周辺には中国大陸から渡ってきた歯科医がいて、彼らはノーライセンスでしたが安価で、腕も比較的信頼できました。中に入ったこともありますが、子どもだったのであっという間に迷いましたよ(笑)」

“九龍城寨といえば歯医者”は当時の庶民ならおなじみで、軽度の虫歯や口内クリーニング、入れ歯作成程度なら、安くて腕のいい無許可医を選ぶことが多かった。この背景には、社会構造的な理由や汚職の蔓延により多くの庶民が貧困にあえいでいた事実もある。

 そんな苦難の時代を描いた「九龍城寨之圍城」だが、結果はメガヒットとなった。なぜヒットしたのか。九龍城寨はなぜ今も人気なのか。第2回では九龍城寨で暮らした経験がある日本人、さいたま市議会議員の吉田一郎さんにも話を聞く。

デイリー新潮編集部