ニューヨークのルーズベルト島に訪れた花見客ら(撮影はいずれも田村明子)

 アメリカのニューヨークでは、空前のお花見ブームが続いている。以前は日本人が多く集まり、こぢんまりと楽しんでいたものが、今では日本並みに大混雑しているという。人口1万人の島に2万人に花見客が訪れ、駅に人があふれ返ったために地下鉄が通過する事態にになっている。花をめでる心に国境はないとはいえ、ここまで「sakura」に関心が集まるのは、やはり「映え」が大きく影響しているようだ。現地ジャーナリストが見た「Ohanami」を紹介する。

「明日はセントラルパークにOhanamiに行くんだよ」とうれしそうに口にしたのは、先日定期検診で初めて会ったアメリカ人の医師である。私が日本人であることを知って、言いたくて仕方ない、という感じで告げてきたのだ。

■岸田首相が訪米中に苗木の寄贈を約束

 岸田文雄首相は4月8〜14日の訪米中、首都ワシントンで2026年のアメリカ建国250年に向けて桜の苗を250本寄贈することを約束した。日本とアメリカの友好の象徴とされてきた桜だが、実はニューヨークにも桜の木は意外なほど多い。ニューヨーク市公園管理局に登録されているだけで3万8千本あまり。登録されていない木を含めると、4万本以上あるだろう。そしてこの数年間で、ニューヨーカーの間でもお花見ブームがすっかり定着したのである。

 日本原産の桜がアメリカに本格的に植樹されたのは、今から100年以上前の20世紀初頭のことだ。最も有名なワシントンのポトマック河岸の桜は、東京市(当時)から日米の平和と親善の象徴として贈られた苗を1912年3月にヘレン・タフト大統領夫人が自らの手で植樹したのが始まりである。

 ニューヨークの桜もこの同時期に植樹されたと記録がある。1912年4月にハドソン・フルトン記念(ヘンリー・ハドソンによるハドソン川発見300年祭とロバート・フルトン蒸気船100年記念祭を合併させたもの)の一環でマンハッタンに植樹された。最初に植えられたのは、ハドソン川沿いにあるクレアモントパークで、この一帯は今でも「Sakura Park」と呼ばれている。この時に届いた3千本の苗木の一部はセントラルパークなどにも植樹されたそうだ。

 筆者が1980年にニューヨークに移住したとき、春になって驚いたのは桜の木が多いことだった。だが当時のニューヨーカーは特に関心を示す様子もなく、日本人のように桜を特別にめでる習慣はなかった。毎年春には日本人グループで集まって、セントラルパークの桜の木の下で控えめにピクニックを楽しんだが、静かにのんびりとお花見を楽しむことができたのである。

 だがそれも過去の話。現在ではセントラルパークの公園ウェブサイトにも、桜の開花状況のページが作られて、春になるとニューヨーカーたちも日本並みに桜の木を目掛けて押し寄せるようになったのだ。

 この「Ohanami」ブームの火付け役は、マンハッタンの南東側、ブルックリンにあるボタニカル・ガーデン(植物園)の「Cherry Blossom Festival」(桜祭り)だった。

■日本文化に興味なさそうな人も

 マンハッタンのウォール街から地下鉄で20分ほどのこのボタニカル・ガーデンは、全米で最も古い日本庭園がある場所でもある。園内にはおよそ220本の各種桜の木があり、1982年に最初の桜祭りが開催された。日本舞踏や和太鼓、折り紙教室などのイベント、フード屋台なども加わって、それなりの人出を見せたが、特に日本文化に興味のなさそうな一般人も桜を求めてやってくるようになったのはごく最近のことである。

「私がブルックリンに引っ越したときは桜祭りのことは知っていたけれど、そこまで大きなイベント、という意識はなかったんです」

 と語るのは、40年以上もブルックリンに住んでいる60代のアニタさん。医療関係の仕事をしているという。

「でもだんだん人気が出てきて、春になったら絶対に逃してはいけない一大イベントになっていきました。でもそうなってきたら人出がすごくて」

 と苦笑い。

 ブルックリンのボタニカルガーデン以外でも、桜祭りを開催している場所はニューヨーク市内にいくつかある。マンハッタンとクイーンズ区の間にあるイーストリバーに浮かぶルーズベルト島も、その一つだ。マンハッタンから地下鉄で一駅、トラムと呼ばれるゴンドラだと5分で渡ることができる静かな住宅街である。

 東日本大震災の被害者のためのチャリティー企画として、2011年に日本領事館の肝いりで第一回桜祭りが開催された。もともと川沿いに植えてあった染井吉野や、八重桜の関山などに加え、このときは、しだれ桜などの苗木も寄贈された。琴の演奏会や、お茶会なども開催されたが、開催当時は訪れる観客も少なく、島の住民が興味本位でのぞきにくる程度の閑散とした桜祭りであった。

 だが毎年開催されていくうちに、地元のテレビ局やイベント雑誌などで大々的に取り上げられ、人が増え始めた。そしてピークは19年4月の週末に行われた桜祭りである。

■地下鉄が駅に停車できないほどの混雑に

 人口1万人あまりの静かなルーズベルト島に、一日で2万人のお花見客が押し寄せた。主催側のRIOC(ルーズベルトアイランドオペレーションコープ)も、MTA(メトロポリタン交通当局)も予測していなかった混雑が発生したのである。

 正午過ぎにはルーズベルト島の地下鉄の駅が、到着した乗客と帰ろうとする乗客でいっぱいになり、前にも後ろにも進めないという緊急事態が発生。急きょMTAは、マンハッタン側から到着する全ての電車を、この駅に停車させずに通過させるという強硬手段に出た。島を目指してきたお花見客たちは、強制的にクイーンズ区まで連れて行かれるという事態に陥ったのである。

 そして、島の桜の木の下は、ピザなどを持ち込んだ家族連れで埋まり、ゴミ箱はあふれてまわりもゴミだらけ。なぜか浴衣のようなものを着たコスプレ風のアジア人観光客の姿も目立った。

 だがこの狂乱も、コロナパンデミックでいったんリセットされた。ボタニカルガーデンも含めて、全ての桜祭りが中止となったのである。

ニューヨークの「Ohanami」は今や日本と変わらないくらいのイベントに

 現在はボタニカルガーデンでは、4月の週末ごとに個別の小さなイベントが開催されているが、フェスティバルは再開していない。

 ルーズベルト島は、染井吉野がほころび始める4月初旬から関山が終わる5月まで、相変わらず週末になると多くの観光客が訪れて、みんなおしゃれをして写真の撮影会をやっている。この間はトラムも観光客で長蛇の列となり、島の住人たちにとって、通学や通勤に支障が出る恐怖の期間でもあるという。

「SNSの発達がブームの一つの原因だと思うの」とアニタさん。

「皆、『私もSakuraを見てきました』という写真を出したいのでしょう」

 特に中近東系の人たちは、華やかな民族衣装に身を包んでやってくる。

■物価高もブームに貢献

「このお花見ブームは、日本の文化の人気度が高まってきたことと比例しているようにも思えるんです」

 アニタさんがそう話す。

 すしの「Omakase」やラーメンなどの食文化の安定した人気と、アニメとマンガの爆発的な人気で、「日本に関する物は何でもカッコいい」というブームの中にお花見も入っているというのである。ついでに言うなら、このところのニューヨークの急激な物価上昇で、人々はお金のかからないエンターテインメントを求めていることもある。ニューヨークの長い冬がようやく終わり、外に出たいが財布の中身が寂しい、という人たちにとっても気軽に楽しめるのがお花見なのだ。

 このところ米国では植物の外来種への風当たりが強くなり、栽培に関しても厳しくなりつつあるが、今のところ「桜」がその対象として攻撃される気配はない。

 お花見ブームは当分続きそうである。

(現地ジャーナリスト・田村明子)