「現在では使われなくなった地名=『旧町名』は、古い家屋の表札やビルなど様々なものの中に発見することができる」と語るのは、16年以上、全国の旧町名の名残りを探し、その記録をブログなどで発信している102so(じゅうにそう)さん。ご著書の『旧町名さがしてみました in東京』より、今回は東京・港区の旧町名にまつわるエピソードを紹介していただきました。102soさんいわく、「港区は赤坂區、麻布區、芝區の三區合併で昭和22年に誕生した大使館天国」だそうで――。

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麻布區我善坊町、芝區西久保広町

<麻布區我善坊町>

このエリアを一言で表すと「再開発やらんのかい」。

密集する木造家屋の入り口を塞ぐベニヤ板、森ビルによる立入厳禁・巡回警備実施中プレート。これだけお膳立てされた状況ゆえ、明日にでも再開発が始まりそう。なのに始まらない。


再開発やらんのかいと言いつつ、始まらないよねという甘えを受け止めてくれた平成21年の我善坊(写真提供:二見書房)

少なくとも初めてこの地を訪れた平成21年時点で、すでにこのありさま。

当時発見した旧町名は書道家の吉田苞竹(ほうちく)の旧宅門柱に掲げられていました。麻布區時代の貴重な痕跡ですが、いまは残っていません。


風化して判読しづらい戦前の「麻布區」。もしかしたら苞竹が生前に自ら掲げたものかも(写真提供:二見書房)

令和元年、ついに再開発工事が着工されたのです。いや再開発やるんかい。すでに苞竹旧家の西側一帯は土地ごと抉り取られた状態で、旧町名も消えていました。

そして令和3年、人間は地形というものをこれほどまで変えられるのか。そんな感想しか浮かばないほど、もはや我善坊(がぜんぼう)「谷」も我善坊谷「坂」も消え去っていました。

とはいえ、なくなったものは仕方がない。悔しいので、竣工後は早速現地に行って我善坊町時代の痕跡を探し出してやりましょう。

<芝區西久保広町>

花を買いたい衝動に駆られて入った花屋さんに芝區時代の旧町名がありました。花を見繕ってもらいつつお店の方に話を伺うと、創業は港区誕生と同じ昭和22年。

東京タワーができる前は2km先の芝公園から梟の鳴き声が聞こえるほどのどかだったらしいこの場所はいまはタワマン建設中。花屋さんもありません。