元オリ張奕が語った転機…軽い口調で「ピッチングしようか」

 異例の“転向”が人生を変えた。昨オフに西武から戦力外通告を受けた張奕投手は今季から祖国、台湾に戻り、新興球団「台鋼ホークス」に練習生として加入した。育成選手としてオリックスへ入団した時の登録は外野手。2軍でも出場機会がなく「野球をやめたい」と考えたこともあったという。

 台湾出身だが、いとこだった陽岱鋼外野手(現オイシックス)にあこがれて福岡第一高に留学。日本経済大に進学後、2016年育成ドラフト1位で入団した。憧れのNPB入りを果たしたが、育成選手という厳しい立場。最初の2年間は、2軍の遠征にすら連れて行ってもらえなかった。

 バファローズスタジアム舞洲でひたすら打撃練習の日々。当時ともに2軍で燻っていた1学年年上の杉本裕太郎外野手と励ましあいながら練習に明け暮れたという。「お互い『頑張ろう』って感じで……。明日が見えない日々で、野球をやめたいと思うこともありましたね」。

 試合に出れなければ、アピールするチャンスすら少なくなる。さらに試合でも5試合連続ノーヒットと好結果が出なかった。腐りかけていた張奕の転機になったのは2018年。いつも通り打撃練習をこなした後、酒井勉育成コーチが声をかけてきた。

「ちょっとピッチングしようか」。軽い口調だった。張奕も気分転換のつもりでマウンドへ。投げてみると、148キロを計測した。その後、弓岡敬二郎育成チーフコーチと酒井コーチらで話し合い、そこから本格的に投球練習が始まった。

投手経験は高校以来も「『転向させてもらえるんだ』って感じ」

 大学時代は主に野手だったため、本格的な投手経験は高校以来。しかし、「2年目の時にはこのままいったらクビだってわかっていたので、『転向させてもらえるんだ』って感じでした。ありがたかったですね」。同年に2軍で5試合に登板し、防御率1.80をマークした。3年目から登録が投手になると、5月1日に支配下選手登録。1軍でも8試合に登板し、プロ初勝利を含む2勝をマークした。

 張奕にとっては予想外の投手転向だったが、酒井コーチは入団当時からその強肩に注目していたという。新人合同自主トレの際に「張くん、投手やってみない?」と声をかけられていた。当時は外野手として入団していたこともあり、「バッターとして頑張りたいので」と一度断っていた。

 投手転向後、酒井コーチに入団時のことを聞いたことがあった。「『あの時、どういう気持ちだったんですか?』って聞いたら、『本気だったよ』って」。2023年に森友哉捕手の人的補償で西武へ移籍。通算49登板で4勝9敗という結果で昨年戦力外通告を受けたが、「投手になれたから7年間もNPBでプレーできた」。投手転向のおかげで伸びた野球人生。1年でも長く続けてみせる。(川村虎大 / Kodai Kawamura)