北朝鮮の分析で知られる米国のマーティン・ウィリアムズ氏らが4月、米シンクタンクのスティムソン・センター傘下の北朝鮮専門メディア「38ノース」で報告書「北朝鮮におけるデジタル監視」を発表した。ウィリアムズ氏によれば、北朝鮮は指紋認証や顔認証などを導入し、国民統制をさらに強化しようとしているという。ところが、統制を強化することで、逆に「困った事態」も生まれるという。ウィリアムズ氏は「デジタル監視が、金正恩体制の安定につながるかどうかは即断できない」と語った。(牧野愛博)

今回の調査は、2021年から2023年にかけ、北朝鮮メディアなどのオープンソースを中心に行われた。北朝鮮に住む100人の市民にも聞き取り調査を行ったという。

報告書によれば、北朝鮮はカメラや通信機材などハードウェアを中国から輸入。指紋や掌紋、静脈、顔などの認証システムなどのソフトウェアは、金日成総合大学を中心に国内で開発しているという。

平壌で開催された2016年IT成功展示会では、顔認証システムを実演した。顔認識の精度は99.8%だという。17歳になるとすべての北朝鮮国民に支給される国民登録証も紙から電子カードへの切り替えが進んでいる。発行時には住民の顔写真と指紋、血液を採取するため、顔認証や指紋認証などに利用される可能性がある。

また、北朝鮮では最近、監視カメラの設置が進んでいる。政府の建物、職場、中国との国境沿いの施設、学校、街頭、店舗などに設置されるカメラが増えている。大規模な集会が開かれる際、カメラが監視しているケースがあるという。

交差点などに設置される街頭カメラは10年ほど前から登場した。2014年に平壌・金日成広場の近くで登場し、2018年に平城、2019年に清津などでそれぞれ設置が確認された。

北朝鮮の科学雑誌には、車両のナンバープレートの認識に関する論文がいくつか掲載されている。車両のナンバーを自動的に登録するシステムを構築している可能性があるという。北朝鮮には自家用車を持つという習慣はほとんどない。走っているのは公用車か、ごく限られた富裕層が所有している車だけだ。ウィリアムズ氏はナンバー識別システムについて「必要になれば、富裕層の動きを監視して取り締まる手段としても使えるだろう」と語る。

ただ、不都合な点もある。ウィリアムズ氏は「カメラは贈収賄の防止に役立つ」と語る。北朝鮮では様々な場所で賄賂が社会の潤滑油になっている。国境地帯での密輸を見逃す対価として、病院で優先的に治療してもらう代わりのお礼として、政治集会や勤労動員を逃れるための手段として、賄賂は様々な場所で使われている。特に、市場などでの副業に手を染められない公務員や軍人たちにとって、賄賂は生活するために欠かせない手段だ。

ウィリアムズ氏は「金正恩総書記は、取り締まり機関への食料や給与の供給を強化する必要がある。そうしなければ、取り締まり機関の関係者は賄賂を受け取るため、違法行為を無視する方法を見つけ出そうとするだろう」と語る。

「デジタル監視が強化されれば、法律違反や違法行為が減るかもしれない。でも、監視が行き過ぎた場合、富裕層などが金正恩氏に反抗するかもしれない。間違いなく、金正恩氏は非常に慎重にバランスを取らなければならないだろう」

北朝鮮ほど、「人を使った監視体制」の構築に成功した国はない。20〜30世帯ごとで構成する人民班では、班長が常に各世帯の動静を近くの分駐所(派出所)などに届け出る。知らない人間が現れたらすぐに通報する。

国家保衛省(秘密警察)は別に担当する職場や地域ごとに複数の密告者を持っている。密告者は職場や学校で変な動きがないか、報告する義務を負っている。複数の密告者の報告が一致すると、保衛省の担当者は取り締まりに動き出す。

監視カメラがない時代でも、北朝鮮で罪を犯すと、すぐに摘発される事例がほとんどだとされた。治安機関が、地域の人間関係や特異な行動について常に報告を受けているからだ。

ウィリアムズ氏も「コンピューターにうわさ話の入力をするのは難しい。北朝鮮ではしばらく、人による監視体制がデジタル監視とともに生き残るだろう」と語る。

北朝鮮がデジタル監視体制を完成させるためには、まだいくつかの課題が残されている。電力難が解消されていないため、カメラを設置しても24時間稼働できないケースがほとんどだろう。また、ウィリアムズ氏によれば、全国的なデジタル監視網を機能させるためには、大量の情報を処理できる大容量のコンピューターも必要になる。

ウィリアムズ氏は「デジタル監視が北朝鮮の体制の安定につながるかどうか、いましばらく状況を見守るしかない」と語った。