春夏通算13回の甲子園出場経験を持ち、3学年合わせて部員約100人の海星高校(四日市市)硬式野球部。県内屈指の大所帯を束ねる「ダブル主将」の1人、3年生の山下透海(すかい)内野手は、練習試合以外で同校のユニホームに袖を通したことがない。昨年6月、智弁学園(奈良県)から転入したからだ。海星の選手として臨む、最初で最後の公式戦となる5日開幕の全国高校野球選手権三重大会で「これまでの集大成を見せたい」と話す。

 津市出身の右の強打者。強肩と勝負強い打撃で朝陽中時代、硬式野球のヤングリーグ中日本選抜などに選ばれた。中学卒業後は春夏通算35度の甲子園出場を誇る智弁学園へ。全国屈指の強豪校で1年目からAチーム入りし「へたくそながら」充実した野球生活を送っていた。

 高校2年目。家庭の事情で三重に戻ることになり、同校と交流のあった海星へ転校することになった。転校先決定には智弁学園の仲間の励ましが背中を押した。海星には中学時代のチームメートがいたことも心強く、現在ダブル主将を務める山川瑠輝外野手からは「期待している」と歓迎のメッセージを受けた。

 転入後は、高野連の規定で1年間公式戦に出られなかったが「最後の夏に向けて自分で追い込んでやると決意した」。打撃練習では「一番深い右中間を狙って練習した」。もともと走塁に自信がなかったが、走塁練習に力を入れる海星で苦手意識の克服に努めた。

 新チームが発足するとダブル主将の1人に選ばれた。秋の公式戦は記録員でベンチ入りし、裏方でチームを支えた。智弁学園時代の経験から「日頃の振る舞いが大事な試合の1本、1球につながる」とあいさつや清掃の徹底など訴えた。自分も率先してゴミ拾いなどに取り組んだ。

 高校3年間を振り返り「2つの高校で、ほかの高校球児と違う経験ができた」。転入から数カ月で主将になった自分の考えを、快く受け入れてくれた海星の仲間にも感謝している。チーム一丸で目指すのは海星として26年ぶりの夏の甲子園切符。「甲子園に出て、智弁学園と笑顔で試合できたら最高。智弁学園のチームメートに、変わった自分を見せたい」