建築、音楽、パフォーマンス、ファッション、デザインなど、メディアやジャンルを横断して国際的に活動する黒人アーティスト、シアスター・ゲイツ。日本初となる個展「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」が六本木・森美術館で開幕した。

文=川岸 徹 撮影=JBpress autograph編集部

外国人との違いを認めつつ、共感する

 総務省が2023年に公表した外国人住民の数は、日本の人口1億2541万6877人のうち、299万3839人。比率にすると2.39%の割合になる。世界の主要国と比べれば極めて少なく、外国人は圧倒的マイノリティといえる存在だ。

 この状況をどう読み解くかは人それぞれだろう。国際社会からの孤立・遅れを懸念する声もあるだろうし、逆に独自性の高い文化や“日本らしさ”を守ることにつながるといった意見もあるかもしれない。

 外国人住民の数が増えることに賛否あるが、日本人がもっと視野を広げなければならないのは確か。視点の多様化が求められる現代社会では、マイノリティの状況を理解し、問題解決の糸口を見出す意識が重要だ。

 今、世界のアートシーンはブラック・アートへの関心を高めている。黒人は近年のブラック・ライブズ・マター運動をはじめ、長年にわたり差別や迫害に抵抗してきた。その抵抗の歴史において重要な役割を担ってきた黒人の工芸、アート、音楽、ファッションに注目が集まるのは自然な流れだろう。「違いを認めつつ、共感する」。そこに未来へのヒントが隠されているはずだ。

黒人アーティスト、シアスター・ゲイツとは?

 現在の黒人アートシーンで、特に高い人気と注目度を誇るアーティストがシアスター・ゲイツ。イギリスの現代アート誌『Art Review』が毎年発表する、アート界で最も影響力をもつ100組のランキング「Power 100」2023年度版にて7位に輝いている。

 1973年シカゴにてアフリカ系アメリカ人として生まれたゲイツは、実は日本と縁が深い。アイオワ州立大学で都市計画と陶芸を学んだゲイツは卒業後に来日し、焼き物の名産地で六古窯のひとつとして知られる愛知県常滑で1年を過ごした。80代、90代の高齢の職人たちが、てきぱきと熟練した手つきで粘土を扱う姿に感動。この経験は彼の人生を大きく変え、ゲイツ自身の作品には日本の風景や詩、そして神道や仏教、民藝といったものの哲学が染み込むようになった。

 そんなゲイツは独自の美学の象徴として「アフロ民藝」という言葉を生み出した。展覧会のタイトルにもつけられているこの言葉、アメリカの公民権運動の一翼を担ったスローガン「ブラック・イズ・ビューティフル」と日本の「民藝運動」の哲学を融合させたものだという。

「民藝とは20世紀に興った、無名の工人たちによって作られた日常的な工芸品の美しさを称える運動を表す言葉で、たびたび批判に晒される言葉ではありますが、地域の工芸に広く文化的な矜持を持たせようとする試みでもありました。名もなき職人たちによって作られた質素で美しい品々に敬意を払い続けるというこの運動は、非常に明瞭でありながら、他方では政府によって経済力を得る手段として、また場合によっては帝国主義の道具として利用されるなど緊張を孕んだものでもありました。

 私にとって民藝の物語は、1960年代、70年代、80年代アメリカでの「ブラック・イズ・ビューティフル」運動のような文化的抵抗の物語と重ね合わされます。この時代、アメリカの黒人はますます多様化するヨーロッパ中心的な文化の中で、集団的アイデンティティを守り、維持し、自己決定するために闘いました。「ブラック・イズ・ビューティフル」の推進者たちは、アフリカ系の名前に変え、自然なヘアスタイルに誇りを持ち、祖先の母国語を学び、祖国の衣装を身にまとったのです」(シアスター・ゲイツが展覧会開催に寄せたメッセージより抜粋)