刃物を持ち出すほどの壮絶な夫婦ゲンカの果てに母親は自死。引き取ってくれた祖母はアルコール依存症で祖父とケンカを繰り返す日々。祖母のモラハラにも追い詰められ、自分自身も摂食障害や強迫性障害に苦しむようになり……。

そんな壮絶な経験をコミックエッセイ『さよなら毒家族 アルコール依存症の祖母の呪縛から解放されて私を取り戻すまで』に綴ったゆめのさん。そこには、ゆめのさんの過酷な家庭環境と、そこから抜け出して自分の人生を取り戻していく過程が描かれています。今回は、そんなゆめのさんに作品についてお話をお伺いしました。

『さよなら毒家族』あらすじ




ゆめのさんの父親は浮気性でギャンブル好き、母親はそんな父親とたびたびもめては実家に避難することを繰り返していました。ゆめのさんの4歳の頃の記憶には、激昂した母親が包丁で父親を刺そうとする姿もありました。そんなある日、ゆめのさんを祖母の家に預けた母親は、薬を飲んで自殺してしまいました。



祖父母の家で暮らすことになったゆめのさんでしたが、祖母は以前から重度のアルコール依存症でした。酒を飲むと別人のようになってしまい、ゆめのさんが小学生になる頃には、祖母は一ヶ月のうち一週間も普通の日があればいいほうで、酔っ払って床で寝たまま粗相をしてしまうこともありました。ゆめのさんは小学生のうちから祖母の世話をするようになり、食事も自分で用意するようになっていきました。



ゆめのさんはアルコール依存症の祖母のモラハラに苦しめられ、小学4年生で授業中に過呼吸になったり、中学生の頃には摂食障害になったり自傷行為をしたりと、ストレスによる症状が現れてきました。一方、祖母はアルコールを一度はやめたものの、口寂しさから甘いものを食べすぎて今度は重度の糖尿病になってしまい、ゆめのさんは祖母の看病と家事に追われます。



やがてゆめのさんは専門学校に進学して絵の勉強を始めましたが、そんなときに祖父は胃がんで入院してしまいました。学校を辞めることになったゆめのさんは、自分の夢を諦めて、入院した祖父の世話と、体の不自由な祖母のサポートをする日々を送るのでした。祖父母の看病をしながら働き始めたものの、仕事のトラブルも重なって今度は強迫性障害になってしまい…。


著者・ゆめのさんインタビュー


──『さよなら毒家族 アルコール依存症の祖母の呪縛から解放されて私を取り戻すまで』はノンフィクションと伺いました。まずはじめにこの作品を描くことになった経緯を教えていただけますでしょうか。

ゆめのさん:私は子どもの頃、辛い思いをして過ごしていた時から「どんな形であれ、親からされた仕打ちやこの経験を、いつか絶対本にして世に出したい。知ってもらいたい」という思いをずっと持ち続けていました。
大人になり、SNSやブログなどでエッセイ漫画を投稿し始めた際「今がその時だな」と思い、この作品の元となるエッセイの執筆を始めました。



──ゆめのさんが小さい頃、ご両親は壮絶な喧嘩をし、その後お母様を亡くされます。幼い子どもには受け止めきれない出来事が立て続けにおこってしまいますが、振り返って当時思っていたことなどを教えていただけますでしょうか。

ゆめのさん:当時はとにかく「怖いことが早く終わってほしい、早く楽になりたい。早く大人になって幸せになりたい」と思い続けて過ごしていました。当時の幼い私には、両親の喧嘩や母の死も、じっと我慢していれば過ぎ去ることの一部だった認識でした。

──つらい経験をされたと思います。今作の中で、ゆめのさんの印象に残っているシーンを教えていただけますでしょうか。

ゆめのさん:祖母から離れて暮らし始めて、祖母からの電話がわずらわしくなり初めてはっきりと電話を拒否したにも関わらず、一週間後に祖母からまた電話がかかってきた時。祖母が、自分自身の辛いことばかりをまくしたててきたシーンです。

祖母の辛い心情を一方的にぶつけられて、混乱し、本当に怖かった当時の気持ちをうまく表現できたと思っています。もうひとつ、祖母から精神的に距離を取ろうと決意した後に祖母からもらった思い出の品の数々(服や手紙)を、自らの手で処分していく様も絶縁の流れとしてうまく描けたかなと思っています。



──ゆめのさんが本作で描きたかったこと、伝えたかったことを教えていただけますでしょうか。

ゆめのさん:親との絶縁は「物理的」にすれば解決と思われていることも多いですが、物理的に遠く離れても、親のことが頭から離れず辛い思いをしている人も多いと思います。そんな人も、親から心の距離を取れば、親と「精神的な」絶縁もできると私は思います。
人それぞれ、親との絶縁の仕方は違いますが、今親との関係性で悩んでいる人に、私のような絶縁の仕方もあるよと伝えられたらいいなと思います。


取材=ナツメヤシコ/文=レタスユキ