毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなど様々な感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今週は「『スンッ』の本当の意味」について。あなたはどのように観ましたか?
※本記事にはネタバレが含まれています。
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吉田恵里香脚本×伊藤沙莉主演のNHK連続テレビ小説『虎に翼』の第10週「女の知恵は鼻の先?」では、「裁判官編」がスタート。

新キャラとして、変わり者でアメリカかぶれの「殿様判事」久藤頼安(自称「ライアン」/沢村一樹)が登場。新しい憲法に希望を見出した寅子(伊藤)は法曹会館に乗り込み、人事課にいた桂場(松山ケンイチ)に、自分を裁判官として雇ってくれるよう直談判する。

しかし、ここから寅子の反撃開始とはいかないのが、『虎に翼』だ。おそらく多くの視聴者が思っていたよりも、寅子が一度女性法曹から逃げ出した負い目は大きく、根強い。

寅子は女性が法曹の中でも弁護士にしかなれないのは新憲法の「平等」に反すると熱弁をふるい、ライアンは興味津々だが、桂場は難色を示す。

一方、GHQは女性の解放を要求し、婦人の代議士が誕生。ライアンの後押しもあり、寅子は司法省で働き始める。民法の改正草案を読み、その内容がまだまだ不平等であるにもかかわらず、納得してしまう寅子。これは戦前の不平等に慣らされてしまっているためだろう。

職を失わないために桂場の機嫌をとろうとしては、「君もそういう薄っぺらなことを言うのだな」と言われ、「いっぺんに変わらなくとも少しずつでも前進していくのが大切」などと言ってはライアンに「思ったより謙虚」と若干の落胆気味に言われ、かつての同級生で裁判官になっていた小橋(名村辰)には「大人になったなーって思ったんですよね? 前のお前ならすぐ『はて?』『はて?』って理想論をかざした」と皮肉交じりに"褒め"られる。

そんな中、GHQで民法改正に携わっているホーナー(ブレイク・クロフォード)がやって来る。GHQとの折衝が繰り返され、民法改正が進められる中、寅子は広く意見を募るために婦人代議士・橘(伊勢志摩)らの集まりに参加。「どうして男性は古い封建社会にしがみつきたいのかしら」という問いに、まさかの寅子が口にしたのは「古き良き時代の」と言う言葉で、「古き良きなんて明治時代から始まった決まりばかりじゃない」と一笑に付される。寅子はそんな女性たちに希望を感じるが、「どうしてそんなに他人事なの? 君も今社会を変える場所にいるじゃない」とライアンに問われると、長く戦い続けた婦人代議士たちと自分を並べるのはおこがましいと言う。

ある日、寅子は民法改正の委員をしている穂高(小林薫)とばったり再会する。この穂高という人物が、実に人間臭く、面白い。民法改正においては女性解放を進めるためにゴリゴリの保守・神保(木場勝己)と激しく闘うリベラル派である一方、それが顔の見える相手の問題――私的な領域になると、保守な面が出てしまう。

寅子には「お子さんは?」「君のお父上は君が働くことに何と?」などと聞き、寅子に家庭教師の仕事を斡旋。「君をこの道に引きずり込み、不幸にしてしまった」と語る。穂高に不信感を抱く視聴者も多いが、これが穂高の身につけた「スンッ」なのだろう。

穂高には高い理想があり、女性法曹の道を開拓した人でもあるが、その過程で寅子らを自分の理想論の犠牲にした負い目がおそらくある。だからこそ、理想のために闘うのは男と考え、女を弱いもの、守るべきものとして排除してしまう。善意が権利を奪ってしまう、ある種一番厄介な面もある。しかし、この客観的かつ無神経な「不幸」の言葉は、寅子に鋭く突き刺さり、結果的に寅子の「はて?」を取り戻し、自分らしさを思い出させるのだった。

一方、戦争で夫や両親を亡くし、前を向くことができずにいる花江(森田望智)は、寅子が民法改正を介して、ホーナーら「仇の国の人」と仕事をし、仲良くすることに複雑な思いを描いていた。しかし、そのホーナーも実は祖父母がユダヤ人で、親族を戦争でたくさん失っていることを知ると、子どもたちにチョコレートを持ってきてくれたホーナーに、「敵性語」だった英語で礼を言う。直明(三山凌輝)が言った「戦争で何も傷ついていない人なんていないですよね」は、今も世界で起こっている戦争に目を向けさせてくれる強い言葉だ。

かくして、再び自分を取り戻した寅子は、家制度が変わることに反対する神保に、「個人の尊厳を失うことで守られても大きなお世話である」と堂々と私見を述べる。そして、苗字が変わっても家族の愛情が消えるわけではないと言い、よりよく生きていくことに「不断の努力」をすべきと熱弁するのだ。

日本国憲法が掲げる、人種、信条、性別、国籍、社会的身分などで差別されないことや、「個人の尊重」は、簡単なことじゃない。「個」はあまりに多様で、理解が難しいためだが、だからこそ声をあげる・受け止める・察する・考える「不断の努力」が必要であること、私達はついそれを忘れがちであることを痛感する。

寅子は花江やはる(石田ゆり子)にも意見を聞き、ヒントを得て、昭和22年に新しい民法が成立。

ところで、寅子が「はて?」を、自分らしさを取り戻した理由には、同級生・花岡(岩田剛典)との再会もおそらくあった。

花岡は東京地裁に戻り、判事として食糧管理法違反の事件を担当し、ヤミ米などを口にしない生活を送っていた。かつて「家」のために寅子への思いを断ち切った花岡が、友人・轟(戸塚純貴)に漏らした「ここからは何も間違わず正しい道を進むと誓うよ」に多くの視聴者が感じた胸騒ぎ・不穏な予感は、残念ながら的中してしまった。

花岡は寅子に「梅子さん(平岩紙)」の受け売り」として、「前も今も、全部君だよ。どうなりたいかは自分で選ぶしかない。本当の自分を忘れないうちに」と言い、寅子の背を押す。しかし、自らは「正しさ」のために死んでいったのだ。「人としての正しさと司法としての正しさの乖離」に多くの疑問を抱きつつも、スンッとしてしまった花岡があまりに悲しい。

ドラマ序盤では「スンッ」を「闘わない人」「面倒事を避け、楽をする人」の態度だと思ってしまっていた。でも、「スンッ」は何かに「敗戦」し、何かを失い、傷ついた人たちの諦めの形であることが今ならわかる。しかも、一度身につけてしまうと、それは深く根を張り、なかなか抜けない。それは魂を、ときには生命すらも奪ってしまうこともある。

しかし、「スンッ」を知った寅子の中にはある変化も見られた。これまで「背景」「空気」と化していた大きな荷を背負う女性に、大丈夫かと声を掛ける寅子。これは穂高と共に理想を追いかけ、上を、前を見てきた寅子には見えておらず、自身が切り捨てられる、排除される側になって初めて見えるようになった存在だ。

傷つき、後ろめたさと負い目、多くの後悔を知り、戻ってきた寅子にとって「スンッ」は法曹としての道筋にきっと新たな一歩をもたらすはず。ますますシビアな展開が予想される「裁判官編」の幕開けだった。




文/田幸和歌子

田幸和歌子(たこう・わかこ)
1973年、長野県生まれ。出版社、広告制作会社を経て、フリーランスのライターに。ドラマコラムをweb媒体などで執筆するほか、週刊誌や月刊誌、夕刊紙などで医療、芸能、教育関係の取材や著名人インタビューなどを行う。Yahoo!のエンタメ公式コメンテーター。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など。