ホンダの聖地のひとつ、ホンダコレクションホールが3月1日にリニューアルオープンした。その見どころを、6回に分けてお伝えする。パート3は2階の北フロアの展示内容についてレポートする。

挑戦が花開いた時代は、空冷から

1970年代初頭までホンダは空冷エンジンにこだわっていた。イントロはそれを代表するホンダ1300とF1のRA302で始まる。直4の1.3LとV8の3Lである。空冷とは言うもののオイルを循環させた油冷だった。

その空冷は厳しさを増す排ガス対策には不利なため、71年登場の軽自動車ライフでようやく水冷にスイッチする。FFのライフはホンダのMM(マンマキシマム・メカミニマム)思想の先駆者で、エンジンスペースを極限まで詰め広い室内スペースを確保。4ドアモデルも用意していた。

FFの方式もN360のイシゴニス方式(エンジン下にトランスミッション)からダンテ・ジアコーサ方式(エンジン横にトランスミッション)に転換。

このライフを小型車版にしたのが72年のシビックだった。シビックはVWゴルフに先んじてFF2ボックスというジャンルを切り拓いたモデル。このシビックは4輪メーカーとしてホンダを広く世界に知らしめることとなる。

「不可能」と言われた壁を世界で初めて克服

決定付けたのがシビックに搭載されたCVCCエンジンである。73年、世界のメーカーが「不可能」としていたアメリカの排ガス規制マスキー法をクリアしたのだ。これによってホンダの技術は世界が注目するところとなる。ここではアコードと共にエンジン単体が展示されている。

バイクも不利とされていた4ストでのトライアル挑戦や、86年のNSR750によるパリダカール4連覇、GL1000によるビッグバイクへの参入、RCB1000による欧州耐久レースへの出走など活躍の場を大きく広げた時代でもあった。

その後は4スト長円形ピストン採用のNR500、2ストV3のNS500、V4のVF750、V2のVT250など画期的なエンジンを次々と登場させた。その一方でロードパルなど優しいバイクも忘れていなかった。

黄金時代を迎えた88年。技術力を勝利で証明

F1への再チャレンジもあった。中でも88年に16戦15勝を挙げたマクラーレンホンダMP4/4は今でも光り輝いている。

ウイリアムズホンダFW11B、ロータスホンダ99Tと共に間近で見ることができる。ここならではの嬉しい演出である。

さらに国内市販車では81年の“トールボーイ”のシティ、82年“デートカー”として一世を風靡したプレリュード、83年のシビック25i&バラードスポーツ1.5i、そして軽自動車市場へ戻ってきたトゥデイと80年代の個性派ホンダ車が揃う。

出口横には世界初のナビシステム、オートジャイロがさり気なく展示されていた。70年代から80年代にかけてのホンダは世界へ大きく飛躍した時代だった。創立40年にしてHONDAは世界ブランドとなったのである。(文:河原良雄/写真:伊藤嘉啓)