2人はロックスターのような学者だったが、キャリアを台無しにするほどの壮絶な確執があった。

 オスニエル・チャールズ・マーシュとエドワード・ドリンカー・コープは19世紀を代表する化石ハンターだった。2人は古生物学の黎明(れいめい)期に、ステゴサウルスやトリケラトプス、リストロサウルスを含む100以上の恐竜を発見した。

 2人とも名声と成功を手にしたが、それゆえに憎み合っていた。2人の憎悪は全面戦争へと発展し、贈収賄や不正行為、名誉毀損(きそん)など、互いを妨害するために卑劣な戦術を駆使した。

 2人の戦術は冷酷だったかもしれないが、このいわゆる「化石戦争」は、私たちが知る古生物学の形成につながる科学的発見をもたらした。

友情で結ばれた2人

 マーシュとコープは憎み合い、それが2人の関係を決定づけることになったが、最初は友情で結ばれていた。

 マーシュは1831年、米ニューヨークの一般家庭に生まれた。しかし、重要な人脈があった。マーシュのおじは大金持ちの起業家ジョージ・ピーボディで、教育資金を援助してくれたのだ。マーシュは若い優秀な科学者として米エール大学を卒業し、1866年、同大学で初めて古生物学の講座を受け持つことになった。

 未来が不確かな生まれだったマーシュに対して、コープは1840年、自分の居場所が確保されている世界に生まれた。コープの家族は米フィラデルフィアに富と地位、人脈を持っていた。そんなコープが将来について直面した唯一の問題は、家族が望む道から逃れられるかどうかだった。父親はコープが紳士的な地主になることを期待していた。しかし、コープ自身は科学者を目指していた。

 1863年、コープは父親の意向でヨーロッパに留学した。そして、ドイツのベルリンで、自然科学分野の新星と知り合った。マーシュだ。2人は若い米国の学者として、まだ歴史が浅かった古代の化石に焦点を当てた学問分野である古生物学に関心を持ち、意気投合したようだ。

 米国に戻った後、2人は手紙でやりとりし、新しく発見した種に互いの名前を付けた。コープはある種をプティオニウス・マーシと命名し、マーシュは自身の発見にモササウルス・コペアヌスという学名を付けた。

次ページ:確執の激化