【注目の人 直撃インタビュー】

 スージー鈴木さん(音楽評論家)

 間もなくデビュー42周年。本格復帰への期待が高まっている。中森明菜が5月1日のデビュー記念日に向け、公式ユーチューブチャンネルで毎週、セルフカバー動画を公開中。誕生日の7月13日にはファンクラブ限定の有料イベントを開催とファンには朗報が続く。昨年末に出版された「中森明菜の音楽1982-1991」の著者である音楽評論家も、復帰への歩みを見守るひとりだ。改めて音楽家としての明菜の真価を聞いた。

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 ──明菜が歌う最新動画から何を感じましたか。

 ついに音楽活動への野心が、また芽生えてきたんじゃないでしょうか。映像の限り、健康そうですし。ささやくような歌唱法も大人の味になってきています。ただ、チョットかわいそうなのがネットの反応です。元気がない、ファッションがどうのと音楽以外の論調が目立ちます。

 ──「パッと見が椿鬼奴に似ている」とか、どうでもいい話ですよね。

 そうした現象への違和感こそが今回の本を執筆した動機です。彼女が生み出した音楽そのものをもっと語ったれよと。

 ──でも、明菜が時代を席巻した80年代には深く聴き込まず過ごしていたと著書で明かしています。

 彼女の全盛期は私の高校、大学時代。当時は、邦楽は洋楽よりも劣っていると勝手に考えていて。邦楽の中でも大滝詠一や松本隆の「はっぴいえんど」系、彼らが率いる松田聖子の方が洋楽に近く、オシャレなイメージを抱いていました。中島みゆきではなく、松任谷由実。中森明菜ではなく松田聖子という価値観で。ドクター・中松と順序は逆ですが、「中」よりも「松」を優先。「中」にはあまり耳が及びませんでした。

 ──執筆にあたり、1982年のデビューから91年までの全シングルと全スタジオ・アルバムを9カ月かけて、一気に聴きまくったそうですね。改めて実感した中森明菜の音楽の特徴は?

 一言で表すと「総合芸術」。ボーカルだけでなく、演奏やジャケットまで含めた総合音楽です。本人は単に歌を歌うのみならず、時には自分の歌声を押し殺してまで音楽全体をプロデュースする。いわゆる「アイドル音楽」とは真逆です。女の子のボーカル・ミキシングが大きく、かわいい声を張り上げ、恋愛のことしか歌わない。80年代アイドルの王道路線とは異なる道をひた走っています。

■孤立無援のマウンドに立つ「総合芸術」

 ──それでも歌謡界の頂点に駆け上った。何が時代を引きつけたのでしょうか。

 古い表現になりますが、孤立無援のマウンドに立つ気概と言いましょうか。正直、所属先の事務所やレコード会社は頼りなく、信用できるのは自分しかいない。だから、自らソングライターを選んだり、曲名まで決めています。84年のヒット作「北ウイング」は、まだ18歳だった彼女が提案したタイトル。具体的な地名を入れ、楽曲の印象にリアリティーを与える見事な手法です。まだ年端も行かない細腕一本で最新の音楽トレンドをキャッチし、自己プロデュース。バブルに向かう80年代東京の男社会、まだまだ女性の立場や権利が弱かった時代に丸腰で戦いを挑み、成功を収めた。その痛快さがファンの心を掴んだのではないでしょうか。

 ──そんな物語性を含めての「総合芸術」ですか。

 でも、ど真ん中にあるのはやはり歌です。彼女にはさまざまな声の引き出しがあり、自分が創出したい世界に合わせて歌唱法を変えていく。よくモノマネされる、かすれるような声や、私が「明菜ロングトーン」と命名した伸びのある声です。

LONELINESSではなくSOLITUDE

 ──「DESIRE-情熱-」の♪ゲラ、ゲラ、バーニングラーーの「ラーー」の部分ですね。

 野球のピッチャーでいえば地肩の強さ。抜群の声量は圧倒的球速のストレートです。しかも、彼女は多彩な変化球と配球を磨きあげた。まさに変幻自在、千変万化の声色で、さまざまな歌の世界を創り上げ、一曲一曲、違う役を演じています。その点は、彼女がリスペクトする沢田研二のパフォーマンスと共通しています。当時は歌番組の黄金時代。2人の歌うシーンは他の歌手とは温度が違った。それこそ古いけど、ブラウン管の中で独特の世界観を築き上げていた。ちなみに、2人とも蟹座のA型です。

 ──80年代前半のジュリーも明菜も若い才能を積極的に登用しました。

 とりわけ明菜は「光合成」が上手。アルバムでは忌野清志郎の曲まで歌っていますが、強烈な異種の光を浴び、自身の栄養にしてしまう。類いまれな才能の持ち主です。

 ──85年のシングル「SOLITUDE」。著書ではこのタイトルにスポットを当てています。

「積極的な孤独」を意味し、「LONELINESS」の「消極的な孤独」と異なる。まさにファンが期待した明菜像です。作詞は湯川れい子。英語が堪能な方だけに当然、彼女の孤高なイメージを意識したのでしょう。明菜が私の造語「アーバン歌謡」を開拓したのも、この曲です。最近はやりの「シティーポップ」という言葉を彼女の曲に当てはめると、どうも収まりが悪い。都会に住む自立した女性の疲労感を歌っても、酒とたばことセックスの香りにうっすらと包まれている。ムードは歌謡曲的です。シティーポップが「昼の明るさ」なら、アーバンは「夜の世界」。

 ──なるほど。

 そんな特異な曲調に彼女は安住せず、挑戦と実験を重ねて、やがて「踊れる」「盛り上がる」といった大衆音楽の機能性をも削ぎ落とした。自分が求める音楽を突き詰めていったのが、この時代の明菜のすごみです。90年のシングル「水に挿した花」が、音楽的にはひとつの到達点。純粋な美しさを追求した「純粋音楽」と言える傑作です。

 ──クラシックを想起させる曲調は「商業性」を感じさせないほどです。

 それでも34万枚を売り上げ、オリコン1位になったのは日本音楽史上の奇跡。サブスク世代にも、ぜひ聴いて欲しいです。

■ツッパリのイメージを是正したい

 ──それにしても、なぜ「中森明菜の音楽」はここまで語られてこなかったのでしょうか。

 昭和の時代には「アイドルはかわいけりゃいい」と楽曲を軽視する風潮がありました。あと「少女A」のイメージがあまりにも強烈すぎた。「1/2の神話」「飾りじゃないのよ涙は」と続く、いわゆるツッパリ路線。今なお、その印象で語られることが多い。懐かしの歌謡曲特集番組でもツッパリ路線に続き、「DESIRE」で終わってしまう。それ以外の曲は、まず紹介されません。

 ──ある意味、不幸な時代に全盛期を迎えてしまったとも言えます。

 80年代前半、デビュー後わずか4年程度の有名曲だけでなく、もっと多くの曲をみんなに語って欲しい。その後のキャリアの方が圧倒的に長いのだし。私が評論時に心がけるのは「音楽の新しい楽しみ方」を広げること。「ここもいいよね」と別の見方を伝えたい。「水に挿した花」という不思議な曲を推すのには、彼女への偏った見方を是正したい使命感もある。若い世代に「ツッパリ明菜」だけが伝播するのは「もういいでしょう」と。ただ、自分の意見が絶対とも思いません。いろんな明菜の音楽論があっていい。彼女の真価はまだ語り尽くされていないのですから。

 ──ところでスージーさんは55歳で早期退職するまで、会社員と音楽評論家の二足のわらじを履いていました。

 会社員をメインにしてもサブのカルチャー生活を諦めない「サブカルサラリーマン」でした。フリー転身後も会社員なら当たり前の事務処理能力は役立っており、定期収入を得ていたからこそ買えた大量のCDや本は「武器」です。給料を死ぬほどカルチャーに使ったので、国会図書館に行かずとも本が書けます。今でも会社員ならカルチャーを諦めなきゃという風潮は残っていますが、会社員の自分を絶対化するのはもったいない。働けば働くほど給料も上がり、会社員としての1人目の自分が幸せになれた頃ならともかく、今の時代は欲張って趣味や育児など2人目、3人目の自分を持つ方が絶対に楽しく生きられます。

 ──最後に今後の目標を聞かせてください。

 来年は中森明菜、再来年は小泉今日子、そして私が還暦を迎えます。それまでに何かひとつ、自分の誇れる仕事ができればいいですね。

(聞き手=今泉恵孝/日刊ゲンダイ)

▽スージー鈴木(すーじー・すずき) 1966年、大阪府東大阪市生まれ。早大政治経済学部卒業後、博報堂に入社。在職中から音楽評論家として活動し、10冊超の著作を発表。2021年、55歳になったのを機に同社を早期退職。今年は「〈きゅんメロ〉の法則」「サブカルサラリーマンになろう」を相次いで刊行。半自伝的小説「弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる」も話題に。ラジオDJとしても活躍中。