2019年のオフ、福岡ソフトバンクホークスから6球団競合の末に千葉ロッテマリーンズへFA移籍を果たした福田秀平。しかし、この4年間は負傷に泣かされ、思うような結果を残せず、昨オフに戦力外通告を受けた。一時は「引退」も頭をよぎったが、2月10日で35歳となるベテランが選んだ新天地は、今季からウエスタン・リーグに新規参入する「くふうハヤテベンチャーズ静岡」だった。再起を誓う福田の本音に迫った〈全2回/後編に続く〉。聞き手=田中大貴(フリーアナウンサー)

――まずは、ロッテでの4年間を振り返ってください。ホークス残留オファーを含む6球団から誘いがあった中で、ロッテを選んだ決め手は何だったのでしょうか? ※ロッテとは4年出来高を含めた総額7億円超の高待遇で契約。楽天からは出来高を含めると総額10億円に迫る破格条件も提示された。

福田 要因は一つではありません。昔からお世話になっていた鳥越(裕介)さんの存在はとても大きかったですし、母が暮らす関東圏のチームという部分も魅力でした。ホークスを含めてどの球団からも良い条件の提示をもらえたことは選手として自信になりましたし、どの球団に行っても競争があることはわかっていたので、当時はとにかく新天地でレギュラーをつかみたいという一心でした。

開幕前にまさかの骨折、狂った歯車

――ただ、そんな希望を打ち砕くアクシデントに見舞われます。

福田 ホークスの最後の2年(2018〜19年)は、バッティングの感覚が良くなってきた実感があり、数字にも表れていました。実際、2020年のオープン戦も(コロナ禍による)開幕延期後の練習試合も良い状態でした。「よし、今年は勝負できるぞ」という気持ちが強かったのは確かですね。

――開幕直前の2020年6月、巨人戦でデッドボールを受けました。右肩甲骨の骨折。

福田 当時は「まあ、たかが骨折だろう」と思っていたんですが、それがなかなか手強くて。力が入らない状態でバッティングを繰り返していたら、徐々に肩の痛みが大きくなり、悪循環に陥ったという感じです。

――狂った歯車を戻せない4年間だった、と。

福田 肩の可動域が狭まったことで追い求めるバッティングができなくなりました。「じゃあ、スタイルを変えなきゃ……」と考え方も後手後手で。ただ、プロの世界は数字がすべてです。きっと一流の選手ならケガをしていてもある程度の数字を残すことができる。でも、僕はそこに対してフィットできなかった。数字を残せなかったことは、僕の実力だと思います。

 それこそ、ホークスの先輩から「ケガして無理やりプレーしても、観る人たちからしたらその数字が実力だと思われるよ」と言われたことがありました。今、考えるとしっかり治療する選択もあったと思いますが、2020年は野球人生を懸けてロッテに移籍したシーズン。そんなことも言っていられなかったのが本音です。だから、この4年間は「勝負に負けた」と思っています。

「FA制度は選手にとってプラス」

――2019年オフのインタビューでは「FAはプロ野球選手として一人前になった証」とコメントしていました。改めてFA制度にはどんな思いがありますか?

福田 今考えると、(移籍先で)結果を出してから初めて一人前と言えるのかなと思いますね。特にホークスでレギュラーを取ったことのない状態でFAを行使したので。

 ただ、制度自体はすごくいいものだと思いますね。やっぱり挑戦できる権利があるのは選手にとってプラスでしかない。A〜Cのランク付け(福田はCランクに該当)や人的補償の問題などはありますが、それは今後、選手会とNPBで話し合っていいものにしていかないといけませんが、個人としてはこの機会で権利を使えたことに感謝しています。結果を出せなったことがただただ悔しいです。

――とはいえ、昨季はファームで結果が出ていました。オフに戦力外通告を受けた時はどんな心境でしたか?

福田「そりゃ、そうだよな」が一番ですね。正直、ショックはなかったです。成績を考えても仕方ない。だって、戦力になってなかったですから。そこはスッと受け入れました。

――「引退」も頭をよぎったと聞きました。それでも現役続行にこだわった理由は?

福田 最後のほう(昨シーズン)になって、右肩が少しずつ良くなっていたんです。それは多くのドクターやトレーナーのおかげで、何より誰も「もう辞めたほうがいい」と言わなかった。ドクターは今でも野球ができるようになったことを驚いていますし、トレーナーからも「奇跡です」「普通じゃ考えられない」と言われます。それだけ懸命に支えてくれた人たちがいました。ロッテファンからすれば「ふざけんなよ」と思う方もいるかもしれないんですが、周囲のサポートに報いるためにも、また個人としても、もう少し野球をやりたいという気持ちが強かったので新天地を模索しました。

――右肩の具合はそこまで悪かったんですね。

福田「治らない」というよりは「投げられない」「打てない」という感じです。拘縮肩と呼ばれる症状で、痛みが出る中で無理やりプレーしたことで、関節包が組織を守ろうと硬くなり、肩が変形してしまった。野球選手の症例は珍しく、ドクターには「交通事故に遭ったようなもんだよ」と言われていました。ケガから2年経った2022年に手術しました。

――カムバックを果たせたのは「野球を続けなさい」という神様のメッセージだったのでしょうか。

福田 でも、劇的に、というよりは少しずつ安定してきた感じです。今も一定の可動域を超えると痛みが出るので、制限はあります。投げ方も違いますよ。外野でもカットまでは投げられるようになりましたが、センターからバーンと投げろと言われたら無理です。でも、レフトなら対応できますし、内野のスローイングなら問題ない。まさに今、自分の脳にプレーできる範囲を覚えさせている最中です。

(後編に続く)

文=田中大貴

photograph by Ichisei Hiramatsu