5月6日、井上尚弥(31歳)の持つ4本のベルトを狙い、ルイス・ネリ(29歳)が6年ぶりに日本のリングに立つ。
なぜネリは日本のボクシングファンから嫌われるのか? 物議を醸すネリとの2試合を経験した山中慎介。これまで語ってこなかった想いを告白した「ナンバーノンフィクション」を執筆した二宮寿朗氏の取材後記を公開します。(全2回/ノンフィクションの抜粋記事も公開中)
【ノンフィクション記事全文は発売中のNumber1094・1095号、山中慎介「悪童・ネリと闘った189日間」に掲載されています】

 “悪童”と呼ばれる男が、再び日本にやってきた。

 5月6日、東京ドームで4団体統一世界スーパーバンタム級王者・井上尚弥に挑戦する29歳のメキシカン、ルイス・ネリである。

山中慎介は“まったく弱みを見せない人”だった

 かつて日本のボクシングファンすべてを敵に回したファイターだと言っていい。山中慎介との2度の戦いにおいて、ネリが4回TKO勝ちを収めた2017年8月の一戦は後日、ドーピング検査で禁止薬物ジルパテロールの陽性反応が出たことが発覚。翌年3月のリマッチでは前日計量で衝撃の2.3kgオーバーから体重超過で王座はく奪となり、JBC(日本ボクシングコミッション)から無期限の国内活動停止処分を受けた。しかし規定改定を受けての再申請によって処分が解除され、事前計量やドラッグテストなどを行なう条件で6年ぶりに日本で試合をすることが許された。

 あのとき山中は「自分が弱いから勝てなかった」と言い残し、あまりにアンフェアな敗北を受け入れた。こうして世界戦12度の防衛、30度のダウンを積み上げた“神の左”は、静かにリングを去った。

 日本チャンピオン時代から追いかけ、話を聞き、ずっと定点観測をしてきた山中慎介という人は、周囲にまったくと言っていいほど弱みを見せなかった。「言うとそのとおりになってしまうから」と本人から聞かされたことはあるが、周りを心配させたくないという面が強かったように感じる。ある試合では、随分と後になってから「実は減量中に風邪を引いていたんです」とコソッと教えてもらったこともある。

 ネリとの2試合についても、語られていないことがあるという思いはずっとあった。ひょっとしたら「コソッと」がまたあるかもしれないなとも考えていた。だが、それがないままに6年が過ぎようとしていた。ネリがやってくるこのタイミングしかないと思い、あらためて当時を振り返ってもらった。結果として、いくつか知らなかった事実を含めたノンフィクション記事「山中慎介 悪童・ネリと闘った189日間」をNumber最新号1094・1095号に掲載することができた。

「ずっと、ずっと泣いていた」あの再戦前夜の真実

 知らなかった事実の一つを、ここで紹介したい。

 ネリとのリマッチを翌日に控えた2018年2月28日、都内の会場でWBC世界バンタム級タイトルマッチの前日計量が行なわれた。

 先に体重計に乗ったネリが2.3kgオーバーとのアナウンスがあると、山中の「ふざけるな!」という怒声がとどろいた。その直後に前王者が200gアンダーでパスして、体重計に乗ったままネリをにらみつけた。結局、2時間の猶予を与えられた再計量も1.3kgオーバーとなり、ネリの王座ははく奪された。

 ここまでのストーリーはよく知られている。

 引退を決めた後のインタビューを記した2018年のNumberにおいて、前日計量後の様子を筆者はこのように書いている。

《それでも怒りを引きずることはなかった。計量後、気心の知れたスタッフとの夕食ではいつもの明るい山中に戻っていた。

「もちろん体重超過で王座はく奪なんて、悔しかったですよ。最後の試合やし、ネリとちゃんとした試合をやりたかった。でも悔しさを引きずったままだと自分のボクシングが崩れると思って、ひとまず忘れようと。自分の調整だけを考えたんです」

 しっかり睡眠を取って、当日のコンディションを仕上げた。ウエート調整を含めて万全の準備はいつも変わらぬこと。それがボクサーとしての最低限の義務であり、礼節。山中にはそのポリシーが強い。》

 本人の証言に基づいた記述だ。明るく振る舞って夕食を口にしていたことは関係者からも聞いていた。だが、ホテルの自室で一人きりになったときの事実はまるで違っていた。

 ずっと、ずっと泣いていたのだ。悔しさを引きずったままだったのだ。

「あのときの僕の心は正直言って崩壊していました」

 ここで今回のノンフィクション記事を一部抜粋したい。

《妻からの証言を本人にぶつけると、認めるようにゆっくりと頷いた。

「当日まで泣きじゃくっていました。妻からの電話もそうですけど、テレビをつけたらそのニュースが流れてきてまた悔しくなって、もうその繰り返しで。僕がまだ若かったら違う反応だったかもしれません。でも開き直ってというのは難しくて、あのときの僕の心は正直言って崩壊していました」

 体重差を考えればリスクしかない。だが当日リミットとして設けられた58.0kg以内をネリがクリアできれば、戦うことに異論はなかった。ただこの時点で気持ちが切れてしまっていたことは否めなかった。》

 勝っても負けても引退と決めていた。落ちにくくなった減量との戦いを含めて心身ともに「いっぱいいっぱい」だった状況は、今回のノンフィクション記事に記している。それでもいつものようにきっちりと仕上げた。前日計量で仕上げとなる気持ちのスイッチを押すところで、あの2.3kgオーバーがあった。体重計に乗ってネリをにらみつけた時点で、山中のなかで勝負は終わっていたのかもしれない。

レコード上に残らない真の強者は山中慎介である

 山中と親交の厚い元3階級制覇王者・長谷川穂積にも今回、話を聞くことができた。前代未聞の体重オーバーが、いかにナンセンスかを語ってくれた。記事にも掲載した彼の言葉を記しておきたい。

「今振り返っても納得はいかないです。100g、200gオーバーならしゃあないってこともないですけど、2.3kgって落とす気ないって言ってるようなもん。ボクサーというのは最後の2週間がとりわけ大事。山中くんが減量のために調整するところを、ネリはおそらくほぼほぼ全開で動けていたはず。それだけでも全然違うし、まったくフェアじゃない」

 リマッチは結果だけ見れば、4度倒されての2回TKO負け。この試合を詳細に語ることは意味をなさない。

 崩壊していた心をつなぎ合わせて、リスク承知でネリに対峙した。それは歴史あるWBCバンタムのベルトを12度も守ってきた山中慎介のプライドにほかならなかった。

 敗者に注がれた、両国国技館に響き渡った、あの大「慎介コール」。神の左に、もう涙はなかった。顔を上げて花道を引きあげていく姿は、今もなお目に焼きついている。

 レコード上に残る勝者はネリであっても、レコード上に残らない真の強者は山中慎介である。事実を掘り下げていくことで、そこにたどり着くことができた。

 1万字に及ぶ長い原稿を書き上げた後、筆者の心にずっとへばりついていたものが取れた。そんな感覚になった。

<《山中慎介・ノンフィクション抜粋記事》編に続く>

文=二宮寿朗

photograph by Takuya Sugiyama