バレーボール世界最高峰プロリーグ・セリエAで活躍する石川祐希は今季、ミラノでクラブ、自身ともに初となる3位の座を掴んだ。ハイレベルなパフォーマンスを維持し続けるだけでなく、シーズンを重ねるたびに増す絶大な存在感と安定感。セリエA王者ペルージャへの移籍が決まった日本代表エースが見せた先駆者の矜持とは――。
(初出:発売中のNumber1096号[バレーボール短期集中連載(4)独占インタビュー]石川祐希「僕は先頭に立ち続けたい」より)

「僕が先頭に立っている」という自負

 石川祐希が初めてイタリアに渡ってから、9度目となるシーズンを終えた。

 昨季に続いて進出したプレーオフは、準決勝でペルージャに敗れるも3位決定戦でトレンティーノに勝利した。かつては遠い目標だったトップ3入りを、世界最高峰のセリエAで成し遂げただけでなく、石川にとっても自身最高位でのフィナーレ。クラブ初のチャンピオンズリーグ出場にもつながる3位を決めた最後の1本も、この日スパイク決定率70%という驚異的な活躍を見せた石川だった。

 昨秋には日本代表の主将としてパリ五輪出場を決めた。

 直後に開幕した各国リーグでも日本代表選手の活躍は目覚ましく、高橋藍はイタリアのモンツァでプレーオフ進出、ミラノを上回る準優勝という結果を残した。フランスではパリ・バレーの宮浦健人がオポジットとして攻撃の大半を担い、MVPに9度選出される活躍ぶり。20歳の甲斐優斗も同じパリでプレーし、後半は出場機会を増やす中で飛躍的な成長を遂げた。常々「早い段階から海外でプレーしたほうがいい」と推奨する石川は、むしろ当時の自身をも上回る早さで世界へ飛び出す選手が相次ぐ現状をどう見るのか。イタリアでの現地取材で石川に尋ねると、「望ましいこと」と頷きながらも間髪入れずに言った。

「それでも僕が先頭に立っている、という自負はあります。年齢も重ねたからもういいだろう、譲ってもいいだろうみたいな気持ちは全くない。いつまでも先頭を走り続けたい、という思いは常に持っています」

イタリアの9シーズン「よくやったな」

 世界のトップリーグで戦うだけでなく、その中心で、勝利をもたらす。もはや日本のみに留まらず、世界のエース、ユーキイシカワといっても大げさではない。イタリアでの9シーズンを石川が回想する。

「よく耐えたなぁ、って思いますよ(笑)。耐えた、というとめっちゃ苦しい、みたいな感じだから、違うかな。よくやったな、よくやってるな、のほうが正しいですね」

 最初は2014年、中大1年時に短期派遣でモデナへ。ブルーノ・レゼンデやイアルバン・ヌガペトといった世界のトップオブザトップの選手が揃う中、コッパイタリアでモデナが頂点に立つ姿を見て「自分もあの場所に立ちたい」と未来を描いた。そこからラティーナ、シエナ、パドヴァ、ミラノで延べ9シーズンプレーした石川は、日本のトップランナーであり続けた。

「僕にしかできなかったことだと思います」

 地道にステップアップしてきた、と振り返る、当時と今。石川と同様に10代、20代前半で海外へ渡る選手が置かれた環境の相違を客観的かつ正確に見ていた。

「明らかに違いますよね。僕が来た頃は日本代表も強くはなかったし、評価も高くなかった。今は日本代表も日本人選手の評価も高いので、最初からいいチームに行ける可能性も十分あります。年俸も他の選手とは比較できないですけど、間違いなく僕が1年目に来た頃よりは全然いいだろうし、早くから経験を積めていることもいいな、とは思います。でも、僕は代表が強くなっていく過程でイタリアでもステップアップしてきた。それは、僕にしかできなかったことだと思いますし、日本人の評価も少し上げられたんじゃないかな、と。将来、子どもたちがイタリアでプレーしたいと考えたり、言いやすい環境もつくれたとは思っているし、そうありたいとも思ってやって、今もやり続けています」

 振り返ればラティーナではプレーオフよりも残留争いが現実的で、シエナではわずか3勝。パドヴァはプレーオフ圏内にいたものの、新型コロナウイルスの世界的大流行に伴いリーグ自体が中止を余儀なくされた。イタリアで戦うと決めた直後から、「世界ナンバーワンのアウトサイドヒッターになりたい」と目標を掲げてきたが、当初はクラブでも、日本代表でも対峙するトップ選手たちを見上げる位置にいた。

成長できている証

 変わり始めたのは'19年のワールドカップで日本が4位に入り、東京五輪でベスト8進出を果たしてからだ。

「前は下から上を見ていましたけど、ミラノに来て2年目ぐらいから、少しずつ対等に見られるようになったし、言い方は悪く聞こえるかもしれないですけど、時には上から見られるようにもなった。最初はただ『すごいな』と思うだけでしたけど、成長して、日本代表やクラブでも結果が出て、自分の見方も変わった。成長していなかったら見方も一向に変わらないので、変わった、と感じられていること自体が成長できている証だと思うんです」

見方だけでなく、発する言葉も変化

 見方だけでなく、発する言葉も年々変化してきた。かなり前まで遡れば、取材や注目されること自体を苦手としてきた高校時代の記憶もあるが、今は質問の意味を即座にくみ取り、明確かつ具体的な言葉で回答する。漠然と「勝ちたい」といった曖昧なものではなく、勝つために自分がどんなプレーをして、役割を果たすか。シーズンごとにクリアすべき技術面の目標やフィジカルを含めたコンディショニング。何に取り組んでいて、どの程度手ごたえを感じているのか。明言するようになった。

 そして大きな変化がもう一つ。

文=田中夕子

photograph by Takahisa Hirano