「片思いの諦め方がわからない」と題する30代の女性からの投稿が、掲示板サイト「発言小町」に寄せられました。片思い歴4年、疎遠になってから2年弱、連絡も1年以上取っていない相手の諦め方がわからない、というトピ主さん。いろいろなことを試してみてはいるものの効果がないそうで、「長年、不毛な片思いをしていた人はどういう時に諦めがついたかを教えてほしい」と読者に尋ねています。

元々友人関係だった男性に、片思いをするようになったというトピ主さん。当初は彼の恋を応援していたものの、途中で関係を2回持ってしまったことで関係が崩れ、ばっさり振られて最悪の形で決別した、とのことです。そしてトピ主さんは、現在の心境について、以下のようにつづっています。

◇彼に恋人ができることも、結婚する可能性があることも頭では理解している
◇自分は彼に接触せず、静かに独身でいる道もある
◇自分が彼の立場なら、トピ主さんには「他の相手を見つけて、自分と関わらない世界で幸せになってほしい」と思うし、それが一番平和な道だとわかっているが、心が「じゃあそうしよう」となってくれない
◇自分の心には(彼への)執着とわずかな期待があるのだと思う

投稿を読んでまず気になったのは、トピ主さんの思考の主語が“彼”になっている点です。おそらく無意識にでしょうが、今のトピ主さんは“彼から見た自分”を基準にして、自分の行動や自分の未来を考えている状態にあるのではと推測します。

今回はまず「物事を正しく見る」ということから始めてみるとよいように思いました。仏教では悟りを実現するための指針として「八正道」という教えがありますが、これが一つのヒントになるかもしれません。八正道では、苦しみから解放され、安らかな人生を歩むためには「物事を正しく見て、正しい思考を持ち、偽りのない正しい言葉を使い、正しい行いをし、規則正しい生活をし、正しく努力をし、正しく心を安定させ、正しく精神統一をせよ」と教えています。

彼から見たトピ主さんは「あまり気持ちの良くない形で振った相手」であり、そういう相手に連絡をしないということは、心境や理由はどうあれ、現状、トピ主さんの人生に関わる気はない、ということではないでしょうか。そして、トピ主さんはそういう相手に人生の主導権を委ねているために、ここからどこへ向かえばいいかわからないような感覚になっているのではないでしょうか。「彼とは一切の関わりがなくなった」という事実のみに焦点を当て、この事実を正しく見つめることが、今の状況を抜け出すための出発点のように思いました。

続いて、「なぜ自分は彼を諦め、忘れなければならないのか」という問いについても、ぜひ考えてみてください。

彼と疎遠になってから2年間、トピ主さんは50人近くの男性に会ったそうですね。好意を寄せてくれる人も何人かいたものの、彼を思い出してしまい、どの相手とも交際には至らなかったとのこと。それなら自分自身に目を向けようと、転職して資格を取得し、さらに副業を始めるなど、キャリアアップに励んだ。その合間には美容や習いごとをし、海外旅行など、いろいろなことに取り組んだものの、気持ちに変化はなく、今に至るとのことです。

トピ主さんは彼を忘れるために行動を続けた結果、キャリアアップをし、プライベートも大いに充実させることができたわけです。彼を思い続けていることで、彼に迷惑をかけているわけでもありません。それなのになぜ、彼を忘れなくてはならないのか。それは、日々をどんなに充実させても心が満たされた感覚がなく、「私の人生はこれでいい」と思えないからではないでしょうか。

彼への執着を持ち続けているために、何をしていても、心からの平穏や充実感、喜びを感じられない。それはトピ主さんの人生にとって大きな損失ですよね。彼への執着が自分の幸せな日々を阻んでいるならば、その執着心はトピ主さんには有害なものであり、否定すべきものなのではないでしょうか。

つまり、トピ主さんが彼を諦め、忘れたほうがいい理由は、自分の人生を満足に幸せに生きるためであり、彼のためではありません。「思い続けると彼に迷惑だから、私が別の相手と幸せになったほうが彼も安心するから、忘れたほうがいい」わけではないのです。この点をしっかり認識することが、自分の人生を自分の手に取り戻すために必要なことのように思います。

「感情が伴った出来事は記憶に残りやすい」ということは、さまざまな研究でも知られています。トピ主さんは彼との恋で激しく心が揺れる経験をして、そのために忘れ難い記憶になっているのかもしれませんね。また、「人間の脳は興味のないことや必要がないと判断したことは、忘れていく仕組みがある」とも言われているので、彼に対する関心が消えない限り、脳は彼の記憶を保持しようとするでしょう。

いずれにせよ、脳が勝手に処理をしているのですから「記憶は自分の意思でコントロールできない」というある種の諦念は持っておいていいように思います。

しかしながら、その記憶をどう扱うかについては、自分でもコントロールできる余地があるように思います。記憶がよみがえってきたときに、「なぜ彼は私の前からいなくなったの?」などと悲しみに暮れるのか。それとも、恋をしたこと自体は肯定的に受け止めつつも、既に縁が切れている事実を見つめ、「これからは自分のために、自分の人生を生きよう」と理性的に思い直すのか。

後者のように、激情に溺れないよう自分の心を律する、ということを繰り返していけば、次第に彼との記憶は思い出に変わっていき、過去に振り回されない生活ができるようになっていく可能性が高まるように思います。彼のことを完全に忘れる必要はないけれど、彼との記憶に振り回されていた日々を、私自身の手に取り戻そう――。そんな決意から始めてみてはいかがでしょうか。応援しています。(フリーライター 外山ゆひら)