歌手の美川憲一(77)が8日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月〜金曜後1・00)にゲスト出演。超大物歌手との交流について語った。

 美川は1965年に歌手デビューし、翌年発売した「柳ヶ瀬ブルース」が大ヒットした。

 司会の黒柳徹子が「『柳ヶ瀬ブルース』がヒットした時、当時のキャッチフレーズが“夜の貴公子”」と紹介すると、美川は「そうです。でもその頃ちょうど淡谷のり子さんにお会いして。対談で一緒になって。“ブルースの女王”と私はブルースを歌う貴公子という」と回顧。黒柳は「あら、いいじゃない」と感心した。

 美川は「そうです。そのイメージでね、初めてお会いした時に、怖くて後ずさりしたの。淡谷のり子さんは化粧びやーってして。それで」と証言。「“あの美川です。よろしく(お願いします)”って言ったら、“あらあんた可愛い顔してるわねえ”って言われて」と笑ってみせた。

 淡谷さんとの2ショット写真が披露されると、「でも厳しかったですけど」と美川。「やっぱりね、歌手としての姿勢をちゃんとしなきゃいけないって」と明かした。

 黒柳が「美川さんは淡谷さんが大切にしてた写真をおもらいになって、宝物にしてるんですって」とも語ると、美川は「そうなんです。私、淡谷さんの所へ行ってね、いろいろこうリビングでチェックしたりして、“この写真いいですね”って言ったら“持って行きなさい”って」と笑顔。

 「これ見てくださいよ、淡谷のり子さんと笠置シヅ子さん」とかつてのスターの貴重な2ショットを披露し、「笠置さんも非常にまたブレークして。これは宝物です、私の」と言い切った。

 また美川は越路吹雪さんの大ファンだったと言い、淡谷さんに「紹介してほしいって言ったらムッとされたの」との出来事も。「“なんで越路さんなの”って言うから、“ファンなんです”って言ったら、“じゃあ私はどうなの?”って言われて。“淡谷さんはもう身内のような姉様のような、親戚みたいなもんじゃないですか”って言ったら“ああそう、そんなら許すわよ。じゃあこうちゃんに電話してあげるわ”って越路さんに電話して下さったの」と対面することがかなったと感謝した。

 黒柳が「美川さんがシャンソンを歌うきっかけになったのは淡谷のり子さんの言葉だったんですって」とも話すと美川は「そうですね」とうなずいた。

 「“美川くんの声はシャンソン向きだから絶対いいわよ”って。“今は分かんないでしょう、まだ10代だから”ってそう言われて。“年を重ねると枯れた時にいいのよ”って。でもね、20歳そこそこで枯れたって言われてもねピンとこないじゃないですか。“でもね枯れた時に奇麗なお洋服着てね、ピアノに寄っかかって。ピアノ一つでも歌えるからシャンソンはいいわよ、あなた勉強しときなさい”って」と祝われたとした。

 「そういうつながりで私も越路さんを(会いたいと)お願いして。だから2人に言われたことは“お金に糸目はつけちゃダメよ”って。自分に投資をしてね、オシャレをして、それでうちなんかいらないのよ、そんな所にぜいたくに豪邸なんか住まなくていいのよ”とかって言われて。“だから貯金なんかしないように”って言われて。“長く歌うにはファンの皆様に衣装も喜んで見ていただくって大事なのよ”って言われて」と明かすと、「ちゃんと守ってます、私」としみじみと話した。