この議論は、実はすでに古くからあるものだ。20世紀においても、いわゆる「BIS(国際決済銀行)ヴュー」と、「FED(アメリカの中央銀行)ヴュー」の対立の話は、この連載でも以前から何度も言及している。

要は、前者は、バブルは事前の芽を摘み取ることは無理でも、膨らみ始めたら早めに退治してしまうことが必要であるという立場だ。一方、後者は、バブルつぶしが実体経済つぶしになってしまうといけないので、バブルが崩壊してから、迅速に金融政策で対応するのがよい、という考え方だ。

結局、20世紀の後半は後者が力を持つようになった。そして、それは、1930年代の大恐慌の教訓を「中央銀行の引き締めが早すぎたからだ」と解釈した、経済学者のミルトン・フリードマンや、FRB(連邦準備制度理事会)議長を務めたベン・バーナンキなどの影響によって、より広く行き渡ってしまった。

それが、21世紀に起きた世界金融危機(リーマンショック)で見方が逆転したと思ったのだが、現在の経済学者、中央銀行の関係者は、依然としてFEDヴューの世界に生きているようである。

中央銀行の政策ターゲットはどこに向けられるべきか

この対立は「バブルへの対処法」という狭い観点で見るべきでない。「中央銀行の政策ターゲットは実体経済か金融市場か、どっちなんだ?」という、より大きな問題を提示しているのである。

現在の経済学と中央銀行の人々の立場は、実体経済がターゲットであり、その価格である物価のコントロールに金融政策は専念するというものである。しかし、このスタンスを取っているとしても、最終目的は、物価の安定を通じた「日本経済の健全な発展」である。その最終目的を達成するために必要であれば、実体経済も金融資産市場もどちらも政策のターゲットになるはずである。

また、日銀の役割は、金融政策とともに「金融システムの安定」に貢献することであり、この2つの機能は等しく重要である。そうであれば、金融政策においても、金融市場が当然視野に入るべきである。

ではなぜ、このようにやや柔軟に考えずに、文字どおり、しゃくし定規に物価に専念し、為替相場には関与しないという姿勢をかたくなに守ろうとするのだろうか。それは、冒頭に挙げた第3の理由、すなわち、まじめすぎる専門家集団であるということだ。日銀は専門家集団としてあまりに健全すぎ、同時に謙虚すぎるのだ。