「チャールズ・シュワブチャレンジ」はとてもタフな週末となった。長年、アルコール依存症と戦い続け、今年1月「ソニー・オープン・イン・ハワイ」で7年ぶりの復活優勝を果たしたばかりだったグレイソン・マレーが、突然、帰らぬ人となったことが発表されたのは、3日目の朝だった。翌朝にはマレーが自ら命を絶ったことが彼の両親によって伝えられた。


「疑問に思うことばかりだが、その答えは得られない。でも、一つだけ答えられることがある。グレイソンは愛されていたのか? 答えはイエスだ」

選手も関係者もファンも誰もが驚き、悲しみ、「信じられない」と首を傾げながらマレーの死を悼んだ週末は、選手たちにとってゴルフに集中することなどできないと感じるほどのタフな状況だったはずである。しかし、マレーの両親は「試合は続けてほしい」と望み、そのまま続行された決勝ラウンドの主役となったのは、27歳の米国人、デービス・ライリーだった。

ライリーは2位に4打差の単独首位で最終日を迎えたが、彼の名前を聞いてピンと来るゴルフファンは決して多くはないだろう。アラバマ州立大学を経て、2019年にプロ転向。22年からPGAツアーで戦い始め、昨年のダブルス戦「「チューリッヒ・クラシック・オブ・ニューオリンズ」で初優勝を挙げた。だが、個人戦での勝利は一度も無く、今大会はフェデックスカップ・ランキング151位、世界ランキング250位で臨んでいた。

2位に4打差とはいえ、その位置に付けていたのは世界ランキング1位のスコッティ・シェフラー。それゆえ、ライリーは「タフな戦いになる」と気を引き締めていた。

ライリーにとってシェフラーと競い合うことは“因縁の対決”を意味していた。「シェフラーとは長年の知り合いだ。全米ジュニアアマの決勝でも戦った」。11年前の13年「全米ジュニアアマ」決勝マッチは3&2でシェフラーが優勝。ライリーは2位に終わった。ちなみに、その翌年もライリーは決勝マッチに進んだが、5&3で勝利したのはウィル・ザラトリス(米国)。ライリーはまたしても惜敗に終わった。

PGAツアー選手になってからも、シェフラーが勝利を重ね、マスターズでも2勝を挙げて世界ナンバー1に輝くかたわら、ライリーはなかなか報われない日々を過ごしてきた。だが、最近になって、スイングコーチを「以前のコーチ」だったジェフ・スミス氏に戻したところ、「ショットも小技もキャリアで最高の状態になっている」。その自信をパワーに変えて勝利を目指していた。

「負け続けてきた記録を、今度こそ書き換えたい」

いざ、蓋を開けてみれば、最終日のシェフラーは風にドライバーショットがしばしば曲がり、目まぐるしく変わる風と固くしまったグリーンに翻ろうされて、1オーバーの「71」と振るわなかった。対するライリーも出入りの激しいゴルフにはなったが、4バーディー・4ボギーのイーブンパーと踏みとどまった。シェフラーを5打差で抑え込み、通算2勝目、個人戦では初めての勝利を挙げた。

「世界ナンバー1のシェフラーを相手に厳しいコンディションで戦う最終日は、タフな1日になると覚悟していたが、よく耐えた自分を誇りに思う。今、とても興奮している」

「スーパー・エキサイテッド」という言葉を繰り返し口にしたライリーは、負け続けた記録をようやく「勝利」に書き換え、タフな週末を迎えた大勢のゴルフファンにも明るい笑顔をもたらしてくれた。

文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)


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