【大友信彦のもっとラグビー】

 ここ数日、堀江翔太(38)=埼玉=と田中史朗(39)=東葛=の引退発表に合わせて、2人が日本人初のスーパーラグビー選手を目指した当時の記録や記事を何度も読み返した。改めて思ったのは、田中と堀江の2人が開いた扉を通って、多くの選手が海外へ向かったことだ。

 2人と同じ2013年にはFWリーチがニュージーランド(NZ)のチーフスへ。14年にはCTB立川がブランビーズへ、15年にはFB松島がワラターズ、FW稲垣がレベルズ、WTB山田がフォースへ、FWツイがレッズへと続々オーストラリア(豪州)へ向かい、同年のW杯での南アフリカ撃破につなげた。

 15年W杯のあとは海外進出がさらに加速。16年にはFW山下がNZのチーフスへ、FB五郎丸が豪州のレッズとフランスのトゥーロンへ、FW畠山とマフィは英国リーグへ向かった。さらにサンウルブズが結成されてスーパーラグビーに参戦。現役の日本代表や代表予備軍の若手が、長距離移動を毎週のように繰り返しながら海外のトップ選手と戦った。

 海外経験は選手をたくましく鍛え上げる。長時間の移動、初めてのグラウンドや宿舎、不自由な食事や言葉……慣れない環境での経験は、世界の舞台に挑む選手たちをタフにした。8強に進出した19年W杯の日本代表は31人中29人がサンウルブズ経験者だった。

 だが状況は変わった。コロナ禍以降、海外を目指したトップ選手はフランスへ渡った松島、FWタタフ、FB合谷とNZハイランダーズへ向かったFW姫野、そして新興の米国リーグへ渡った畠山と山田のみ。サンウルブズはなくなり、国内リーグがリーグワンへ再編され、看板選手を海外に送り出す動きはぴたりとやんだ。逆に海外のスター選手が次々と来日。リーグのレベルは上がり、選手からは「国内にいても国際レベルの経験が積める」という声を、スーパーラグビーでも指導経験のあるコーチからは「リーグワンは移動時間が少ないから時間をかけて質の高い準備ができる」という賛辞も聞く。

 選手が恵まれた環境を望むのは当然だ。それが国内リーグを充実させるのはうれしい。だが懸念もある。経験が均質化すれば、代表チームの適応力、つまりタフさは低下しかねない…。

 それでも、いつの時代も挑戦者は存在する。スコットランドに渡った元三重のSO忽那健太(29)、豪州を選んだ元日野のFW木村勇大(31)、元釜石のFB片岡領(26)…田中や堀江が開いた扉をくぐって海外に渡り、ローカルクラブで奮闘している彼らにエールを送りたい。田中と堀江の挑戦も、ローカルクラブから始まったのだから。

 ▼大友信彦 スポーツライター、1987年から東京中日スポーツ・中日スポーツでラグビーを担当。W杯は91年の第2回大会から8大会連続取材中。著書に「エディー・ジョーンズの監督学」「釜石の夢〜被災地でワールドカップを」「オールブラックスが強い理由」「勇気と献身」など。