◇コラム「田所龍一の岡田監督『アレやコレ』」

 週末の巨人3連戦(甲子園)は阪神の1勝2敗に終わった。このカードで岡田監督の“やり玉”に挙がったのが「3番・森下」である。第2戦の1回1死一塁で出た「ヒットエンドラン」のサインにハーフスイングの空振り。(一塁走者の中野は二塁でアウト)。その打席で森下はヒットを放ったが、ベンチに戻った森下を岡田監督は叱った。

 「怒ったったよ。バットを振らんと。エンドランやねんから。あそこは簡単に見送ったらあかん」。そして3回無死一塁の場面で再びヒットエンドランのサインを出した。「このサインはこういうもんや―ということを分からせるために出した」という。森下は5回に中前タイムリーを放ち、貴重な3点目を叩き出したが、試合後の岡田監督はあえて森下の「エンドラン失敗」を取り上げた。

 「3番は打つだけじゃあかん。つなぎとか、いろんな意味で、一番何でもできる打順。3番は後ろへつなぐ打ち方をせんとあかんのよ」

 ボールの見送りなどは論外。ヒットエンドランのサインが出れば、打者は確実にゴロを打って“走者を進める”のが仕事。それが岡田阪神の目指す「つなぐ野球」だ。

 実はこの話には“伏線”がある。巨人戦の試合前、ベンチで担当記者たちと岡田監督のある思い出話に花が咲いた。それは昭和60(1985)年5月18日、後楽園球場での巨人7回戦のこと。試合は阪神・ゲイル、巨人・江川の投げ合いで6回を終わって0−0。ここまで阪神は江川に6連敗。吉田監督はなんとしても勝ちたかった。7回は4番・掛布から。すると首脳陣は岡田に「カケが出たらバントもあるぞ」と耳打ちした。

 「ええっ、送りバント? 打つ方が得意やのに」と岡田は口をとんがらせた。案の定、掛布が四球で出塁すると送りバントのサインが出た。「わざとファウルにした。バレなかったか? わざとに見えんようにするぐらいの技術は持ってるで」と岡田監督は笑う。

 「それに、ファウルにしたらサインが変わるという確信もあった」という。事実、サインがヒットエンドランに変わった。岡田は江川の次の1球を捉え、左翼へ決勝の8号2ランを放ったのだ。

 「エンドランのサインやから絶対にバットを振らなあかん。だから躊躇(ちゅうちょ)なく思い切って振れた。けど、ほんまはゴロを打って走者を進めなあかんところ。ホームラン打っても反省もんや」

 森下への叱責には岡田監督のそんな思いが重なっていたのかもしれない。

 ▼田所龍一(たどころ・りゅういち) 1956(昭和31)年3月6日生まれ、大阪府池田市出身の68歳。大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒。79年にサンケイスポーツ入社。同年12月から虎番記者に。85年の「日本一」など10年にわたって担当。その後、産経新聞社運動部長、京都、中部総局長など歴任。産経新聞夕刊で『虎番疾風録』『勇者の物語』『小林繁伝』を執筆。