◇中央競馬コラム「ぱかぱか日和」本城雅人

 逃げ馬のメイショウタバルが取り消したことで、多くの騎手がペースが遅くなると読んだ。ジャスティンミラノの戸崎騎手の位置も悪くない。だが、より完璧に乗った騎手がいた。それがダノンデサイルの横山典弘騎手だ。逃げてもいいくらい出していったが、外からエコロヴァルツが来ると、すっと引いてポケットに入れた。そこからは内ラチから離れることなく経済コースを通る。名人横山典弘らしい計算尽くされた競馬だった。

 「勝つ時はすべてがうまくいくものですよ」

 そう聞いたのは2度目のダービー制覇となったワンアンドオンリーについてだった。あの時は追い込み馬だった同馬を先行させようか悩んでいたところ、オーナーから「前が残っていると思うけどどう思う」と言われて腹が決まった。この日と同じようにライバル馬を間近で見ながら競馬ができた。途中で故障馬がいたが、影響のない場所にいた。勝つ時はすべてうまくいく―言うは易しだが、実現できたのは万全の準備があったから。今回でいうなら皐月賞で異常を覚え横山典騎手の判断で競走除外にしたこともそう。その後はダービー初挑戦の安田翔伍調教師と相談し、馬を仕上げた。

 ロジユニヴァースで勝った1度目のダービーは、レース後は関係者と祝福し、その後は仲間たちと夜通し飲んだ。だが橋口元調教師初のダービー制覇となった前回は、オーナーと調教師に断りを入れて、祝勝会に出ることなく真っすぐ自宅に帰った。

 家では騎手になって4年目の長男・和生と競馬学校に入ったばかりの三男・武史が待っていた。

 「あの日、前田オーナーや橋口先生が家族で祝ってきなさいと言ってくれたから、今の子供たちがあると思うんですよ」と横山典騎手は振り返る。

 あの夜は食卓で競馬談議に花が開いた。この日は向正面で武史騎手が、地下馬道では和生騎手が祝福した。順調にG1ジョッキーになった二人の息子は、父の背を見て、ますますダービーを勝ちたくなったに違いない。(作家)