第1回【超リアル再現映画のメガヒットで再注目 香港の有名スラム街「九龍城寨」はどんな場所だったのか】を読む

 日本で「九龍城」「九龍城砦」、香港で「九龍城寨」と呼ばれた大型スラム街を覚えているだろうか。1994年の完全消滅から30周年を迎えた今年、地元の香港では再評価の波が起きている。その大きなきっかけは1日から香港と中国大陸で公開され、現在も記録的大ヒットが続くアクション映画「九龍城寨之圍城(英題:Twilight of the Warriors: Walled In)」だ。

 敵役を演じたサモ・ハン・キンポーやアクション監督の谷垣健治、音楽担当の川井憲次など、日本でもなじみの深い面々も名を連ねる本作は、物語の大半が九龍城寨の内部で展開する。10年以上前に出版されたベストセラー小説と漫画化作品をもとにしているため、実写映画化の大成功例だ。ただし、映画版でキャラクターたちと並ぶ存在感を放つのは、総製作費の6分1にあたる5000万香港ドルをかけた九龍城寨のセット。その圧倒的な再現度からは、九龍城寨に対する香港の並々ならぬ“愛情”を感じる。

 香港での評価を見る限り、ヒットの理由はアクションとリアリティだけではない。日本では「比類なきダークスポット」の九龍城寨だが、香港ではまた異なるイメージが形成されているようだ。衰えない人気の理由を探るべく、かつてを知る香港人や居住経験がある唯一の日本人、さいたま市議会議員の吉田一郎さんに話を聞いた。

9割の人は喜んで出て行った

 九龍城寨を舞台にした香港映画は数多く、現地ロケの作品も複数存在する。ほとんどがアクション作品であり、有名作はジャッキー・チェンの「新ポリス・ストーリー」だろう。

「九龍城寨之圍城」もレベルの高いアクションが見どころの1つだが、特筆すべきは九龍城寨の「中の人たち」が強い印象を残す点だ。戦いに参加しない一般住民や子ども、女性を効果的に登場させることで、中に存在する「人の絆」を二重三重に表現した。

「1984年の『省港旗兵・九龍の獅子/クーロンズソルジャー』も九龍城寨ロケの有名作ですが、床がぬるぬるで滑るため撮影時は徹底的に掃除したそうです。ぬるぬるの理由はほとんどが汚水。排水管が壊れても修理できないので放置するしかなかったんですね」

 そう語るのは、80年代半ばに九龍城寨で暮らした吉田さん。書籍『九龍城探訪』(イースト・プレス)の監修を務め、「激レアさん」としてテレビに出演したこともある。当時の吉田さんは香港中文大学の留学生で、とにかく安い部屋を探して九龍城寨にたどり着いた。

「そもそもお金がなくて住んでいる人ばかりなので、私の周囲ではみんなで仲良くするという雰囲気じゃなかった。交流していたのは不動産屋の人と、部屋の両隣りの人、あとは行きつけのお店ぐらい。取り壊しの時も住人には優先的に公営住宅があてがわれたので、9割の人は喜んで出て行ったんです。ただ、たしかに『九龍城寨之圍城』は“そこに暮らしている普通の人”がかなり前 に出てきた点は珍しいですよね」

九龍城寨が背負っていた宿命

 当時は町内会や幼稚園、教会なども存在しており、それなりのコミュニティが形成されていた。アンディ・ラウとドニー・イェンのW主演作「追龍」(2020年日本公開)では70年代の九龍城寨が登場したが、映画全体からするとあくまでも主人公が暮らす無法地帯としての“背景”だった。

「九龍城寨之圍城」ではコミュニティと日常生活がさらに多めに描かれている。“古き良き人情”のニュアンスも強まっているが、いわゆる「下町ならでは」のものではない。さまざまな事情で住み着かざるを得なかった人もいた歴史的背景によるものだ。公式のプレスシートや監督の言葉によれば、それらを総じて「『離不開、留不底(離れられない、留まれない)』な香港の物語」である。

 九龍城寨はそんな人々が集まる“ホーム”であり、そんな宿命を背負った場所でもあった。取り壊しの計画は以前から浮かんでは消え、誰もがどこかで「永遠には続かない」と思っていたのだ。ただし「九龍城寨之圍城」のソイ・チェン監督は、「変わるものもあれば、変わらないものもある」として変化を受け入れる意図を加えた。そのため九龍城寨の描き方や主人公のセリフからは、九龍城寨自体も主役であることが伝わる。

 内部に数えきれないほど入った経験がある60代の香港人男性Aさんは言う。

「『九龍城寨之圍城』がヒットした理由には懐かしむ気持ちがあるのでしょう。九龍城寨に匹敵する場所は世界中にないと思います。さまざまな価値観が息づき、白と黒だけではない曖昧さがある『グレー』の世界。そこにいた人は思い出を再訪したいし、若い人は年長者から聞いた話を確認したい。中国大陸の観客たちも、かつて香港にこれほど奇妙な場所があったとは想像もでないことで、むしろ興味が湧くのでしょう」

「九龍城寨之圍城」を観ていない60代の香港人男性Bさんも近い意見だ。

「伝説的な場所で、恐ろしくも興味深い物語がたくさんあったと想像します。人々は常に好奇心旺盛ですから、奇妙だと思うものについては想像を膨らませるものですよね」

九龍城寨に凝縮されていったもの

 一方で香港人たちは「日本ではなぜ人気があるの?」と同じ疑問を口にする。欧米でも人気だが、関連書籍が多く“基礎知識”が豊富で、ゲームや小説、漫画の舞台になった回数がやけに多い国といえば日本だ。

 九龍城寨が日本で注目され始めたのは、写真集『九龍城砦』(ペヨトル工房)が出版された80年代後半あたりから。97年の香港返還前後には写真集『最期の九龍城砦』(新風舎)の初版や、内部を舞台にしたゲーム「クーロンズ・ゲート」が世に出た。実物大の再現スペースがあるゲームセンター「ウェアハウス川崎店 電脳九龍城」(2019年閉店)は05年のオープンだ。また一昨年には歴史本の決定版『九龍城寨の歴史』(みすず書房)も出版されるなど、息の長い人気を誇っている。

 吉田さんに人気の理由を尋ねると、最近入手したという昭和42年発行のガイドブックを取り出した。

「この本の前書きで『東洋の真珠あるいは東洋の屑籠』と書かれているように、日本人にとって昔の香港はそれ自体が神秘的でカオスでした。ドラマ『Gメン75』の香港編や60年代の映画にしても、容疑者が高跳びする場所といえば香港。今の九龍城寨に対するイメージは、かつて香港自体に抱いていたイメージに近いですよね。香港からそういう部分がどんどんなくなっていくにつれ、九龍城寨にイメージとして凝縮され、やがて“ファンタジー”になったのだと思います」

スラム街が遂げたさらなる進化

 このファンタジー化は香港でも同じと考えられるが、SNS上で「九龍城寨之圍城」の感想を見ると、まず「香港映画として」絶賛する声がある。

「香港映画の後継者が現れたことを祝福したい」
「香港アクション映画の新たなレベル」

 このアクションを日本人のアクション監督が作ったという点も、日本としては非常に誇らしい。また、人の絆を描くストーリーも高く評価されているようだ。

「九龍城寨の本来の姿を復元し、さまざまなギャングの世紀にわたる抗争で物語をけん引し、生き残って変化を受け入れる城壁都市の人々の努力の精神を再形成した」(香港メディアの作品解説より抜粋)

 とはいえ、九龍城寨が現役だった頃の香港は、多くの人が”厄介な場所“だと思っていた。吉田さんは言う。

「取り壊しが決まった時の香港は歓迎する声が大きかったんですよ。悪の巣窟がやっと消えると(笑)。でも実際は香港でもファンタジー化が進んで、『九龍城寨之圍城』では古き良き義理人情まで投影している。ファンタジーであり、さまざまなものの象徴になったのが今の九龍城寨ではないでしょうか」

 逆に考えるなら、仮に九龍城寨が現存していた場合、「九龍城寨之圍城」のような描き方は生まれなかった可能性もある。むしろ30年前に完全消滅したからこそ、人々の想像や理想をどこまでも受け入れる“媒体”に変化した。スラム街からさらに進化したのである。

「今あったとしても住みたくはないですが(笑)、屋上からの眺めだけは最高でした。着陸する飛行機が九龍城寨の斜め上を通るんですよね。すごい迫力で。また当時、香港のテレビ局が日本の紅白歌合戦を生中継していたんですよ。香港側の司会を立てて。それを九龍城寨の中で観ていたことも印象に残っていますね」

 時は流れても、「心にそれぞれの九龍城寨」は在り続ける。

デイリー新潮編集部