古里の福井に帰り、長男を出産して3日後、へその下あたりを切られる手術を受けた。1974年のことだ。聴覚障害者の70代女性、加山さん(仮名)=大阪府=は「何の手術かは分からず、拒否することはできなかった」。不妊手術だった。下腹部には4センチの傷跡が今も残る。

 福井県内で生まれた加山さんは生後約50日で発熱し、聴覚障害者になった。小中高校はろう学校に通った。寄宿舎生活で、夏休みと冬休みの年2回実家に帰った。「意思疎通ができず、父母から冷たく扱われた。暴力も振るわれた。だから、家ではじっとしていることが多かった。実家に帰るのは嫌だった」

 高校卒業後、寮に住みながら3交代制の織物工場で働いた。学校の教員の紹介で、74年に同じ聴覚障害者の男性と結婚した。男性が優しかったこともあるが、とにかく両親から離れたかった。

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 夫の父の仕事の関係で結婚後は大阪に引っ越した。妊娠9カ月になり、福井に戻って出産した。両親にとっては初孫だったが、うれしそうではなかった。ずっと怒っているような顔をして話しており、加山さんはのけ者にされているように感じた。

 無事出産し、その3日後に手術を受けた。麻酔が切れると、激しい痛みを感じた。「死にたい」と思うほどの痛みで、看護師から何度も痛み止めの薬をもらった。出産の喜びは吹き飛んでいた。

 しばらくして母から「子どもは1人だけよ」と言われた。その時は分からなかったが、後になって不妊手術だと知った。母は手術に同意していた。

 夫は「子どもは3人ほしい」と言っていたから、ひどくショックを受けていた。大阪で子どもを産んでいたら、不妊手術を受けることにはならなかったかもしれない。福井で産んだことを後悔している。

 生まれた長男は健常者だった。