ジャマイカが生んだレゲエミュージックの伝説ボブ・マーリーの半生を描く伝記映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』(公開中)。1億7千万ドルに迫る世界興収を記録した話題作の舞台裏には、どんなエピソードがあったのか?故ボブ・マーリーの長男で自身もアーティストであり、本作ではプロデューサーを務めたジギー・マーリーと、主人公ボブを演じたキングズリー・ベン=アディルに聞いた。

■「キングズリーには父の姿と重なるものがあった」(ジギー・マーリー)

まず気になるのは、ジギーが製作名義で、どんな仕事をしたのか。プロデューサーの仕事は多岐にわたるが、彼は「必要なことがあれば出てきた、という感じですね。例えば自分が見た光景にどこまで近いか?とか、言葉の訛りとか。相談役のようなものです。もっとも重要な役割は、父を正しく描くことでした」と語る。

それを聞いたベン=アディルは「謙虚に話してらっしゃいますが、ジギーはとてつもなく大きな貢献をしてくれました。私も監督もジャマイカ人ではありませんから、多くのことを知る必要があった。ジギーは毎日セットを訪れて、僕らが助言を求めた時、つねにヒントをくれました。映画全体の流れを導いたんですよ」と称賛する。

没後40年以上を経たボブ・マーリーという伝説を演じるうえで、ベン=アディルはどうしたのだろう?「オーディション前に、様々なボブの映像を見ましたが、インタビューではお茶目で笑ってしまうような部分がありました。一方で、彼のライブパフォーマンスには驚かされましたね。もちろん彼の名は知っていたし、有名な曲も聴いたことがありますが、このような側面に触れたのは初めてでした。彼はつねに、自分の本心を口にしていました。そこが魅力的な部分です。物事を曖昧にせず、はっきり言う。そして、圧倒的なカリスマ性がありました。そんな人物像を深めていくことを考えて、演技に臨みました」。 

ジギーも彼の演技を賞賛する。「彼はオーディションの映像の段階で群を抜いていました。カリスマ性を持っていたし、なにより他人をリスペクトする姿勢がすばらしい。現場での彼は欲しいものが明快だった。そういう意味では、父の姿と重なるものがあったのです。私自身、彼のそのような姿勢を見て、改めて真剣に取り組まなければならないと思ったのです」 クリエイター同士の高め合う姿勢が、本作をおもしろくしたと言えるだろう。

コンサートにおけるボブ・マーリーの動きは独自のものがあり、ダンスにも個性がある。ベン=アディルは、その特徴をつかみ、完全に自分のものにしている。「肝心なのは、自分の動き方とどう違うのか、どうしてそういう動きになるのかを理解することでした。ステージ上のボブは全身全霊で動いていて、疲弊するほどそれを続けていたんです。あれだけ動けるということは肉体が健康だったのでしょう。また、彼は周りのミュージシャンがとんな音を出し、どう動いているのかも把握していた。私はミュージシャンではないので、その姿勢はわかりませんが、だからこそ興味を惹かれました」。


■「脚本にはなかった口論のシーンは何か月もかけて、ジギーと語り合いました」(キングズリー・ベン=アディル)

映画は1976年から1978年にかけてのボブの生をたどるもの。冒頭、ボブが子どもたちと一緒にサッカーをしている際に銃声が響き、彼はジギーら息子たちを避難させる。当時のジャマイカは政治的内紛が深刻化しており、緊張に包まれていたのだ。「大人の目から見れば、それはかなり危険な状況だったでしょう。ただ、当時の私は8歳だったから、危険であるとは認識していませんでしたし、そういう状況に置かれていることにも抵抗はなかった。確かに、子どもがいるべき環境ではなかったかもしれません。しかし、父はそのような状況から、私に学んでほしかったのでしょう。まあ、子どもにしたら大冒険ですね(笑)」。ベン=アディルは、こう付け加えた「それを知ると、ボブ・マーリーという人物がさらによく理解できるんです」。

程なくして、コンサートに出演するためにリハーサルを行なっていたボブ・マーリーはスタジオで銃撃される。民衆に対して政治的な影響力を持つ彼の存在を疎ましく思う人間が、当時のジャマイカには存在していたのだ。ジギーは語る。「おそらく、当時の父は自分が撃たれるとは思っていなかったのでしょう。私もそうでした」。ベン=アディルがフォローする。「ボブは“皆、仲間だから”という姿勢を持っていて、映画はそこからスタートするんです」。この時、ボブの平和主義は過酷な現実に打ち砕かれるのだ。

銃弾を受けるも一命をとりとめたボブ・マーリーはコンサートをやり遂げた直後、命の危険を察してロンドンへと渡り、ジャマイカを約1年半、離れる。そこには、祖国の混乱をもはや楽観視できないいらだちもあったのだろう。彼のバンド、ザ・ウェイラーズのメンバーでもあった妻リタも、遅れて到着し、ボブの新天地での音楽活動をサポートする。つまり、当時8歳のジギーは長きにわたり、両親と離れて暮らすことになったのだ。「もともと両親は音楽活動に忙しく、私は大叔母や親戚と暮らしているのが当たり前だったので、感傷的にはなりませんでした。映画の中で、父がジャマイカに戻ってきた時、空港で群衆に揉みくちゃにされながら車に乗り込み、私もスタッフにそこに押し込められる場面がありますが、あれは事実です。久しぶりに会ったのに、感動の再会とは程遠い状況でした(笑)」。

ロンドンでレコーディングした名盤「エクソダス」は世界的なヒット作となり、ヨーロッパツアーも好評。しかし成功のなかで人間関係が軋みだし、ボブと妻リタの関係も悪化。ツアー中のパリでの口論は、この映画でボブの人間的な弱さが出てしまうシーンだろう。「口論のシーンについては、もともとの脚本にはなかった。ジギーが考えて、つくり出した場面です。ご両親の口論の流れをよく理解していたので、この場面については何か月もかけて、彼と語り合いました」とベン=アディルは語る。

世界中の紛争が絶えない世の中に、一つの愛=“ワン・ラヴ”で人々は結ばれるべきである、というテーマを持った本作はタイムリーでもある。「この映画がヒットしていることはうれしいし、そこには“愛”というテーマが関係していると思います」とベン=アディルは言う。またジギーは「アートを発表した時、往々にして世の中では予想していないことが同時発生的に起こります。映画を作っている時には、公開時にこんな世の中になっているとは思っていませんでした。我々はなにかに導かれて、この映画をつくり、一方では我々の見えない力によっていまの世の中がこうなった。我々がやっていることは、ひょっとしたら我々が思っている以上に重要なことかもしれません」と語った。本作が混沌の現代に、どんな音を打ち鳴らしているのか?まずは、体感してみほしい。

取材・文/相馬学