5月14日に公開された英国王チャールズ3世の新たな公式肖像画は、君主の姿が真っ赤な背景に埋もれるように描かれ、肩のあたりに1匹のチョウがあしらわれている。この作品は発表されるやいなや、世界中で議論を巻き起こした。真っ赤な色彩は王のレガシーを表しているのだろうか。王室の過去についての表現だろうか。それとも、極端な表現で臣民の注意をそらすことを狙った策略なのだろうか。

 さまざまな憶測が飛び交っているが、こうした反応は今に始まったことではない。歴史上、肖像というものは常に何らかの目的や象徴のために作られ、論争やトラブルを巻き起こしてきた。

エイブラハム・リンカーン

 第16代米大統領エイブラハム・リンカーンの有名な肖像写真が、実際には本人の立ち姿を写したものではなかったことが明らかになるまで100年を要した。世間では今、人工知能(AI)を使った写真の加工について議論が高まっているが、1865年ごろの肖像は、画像に手を加えることがいかに容易かを改めて思い起こさせてくれる。

 肖像のリンカーンの頭部は実のところ、19世紀半ばの米政界における最大の奴隷制支持者のひとりだったジョン・C・カルフーンの体に貼り合わされていた。

「リンカーンの肖像になるよう加工されたジョン・C・カルフーンの肖像、なだらかに垂れるローブなどの小道具、連邦主義者に置き換えられた分離主義者」は、「リンカーンを米国の神のような地位に引き上げた」数多くの写真のひとつだったと、リンカーンの写真を題材とした共著書があるハロルド・ホルツァー氏は説明する。

アン・オブ・クレーブズ

 アン・オブ・クレーブズを描いた肖像画は、イングランド王ヘンリー8世が彼女と結婚するきっかけとなったと言われている。アン・オブ・クレーブズは1540年1月6日、ヘンリー8世の4番目の妻となった。

 その前年に、ヘンリー8世は、現在のドイツにあったクレーフェ公国に側近を派遣して、アンの弟であるヴィルヘルム公に接触させた。政治的な同盟相手を必要としていたヘンリーは、ヴィルヘルムの姉との結婚を望んでいたものの、まずは未来の花嫁の容姿を確認したいと考えていた。

 ホルバインによるこの有名な肖像画に加え、ヘンリーの側近トマス・クロムウェルにはアンの美しさが、また国王には、彼女は「適齢期であり、健康な気質、優美な体格などの美点を備え」、子どもを産むのに理想的であるとの情報が伝えられた。

 アンがイングランドに到着したときのヘンリーの反応は、満足とはほど遠かった。「彼女はまるで美しくない。人柄はよく上品だが、それ以外は何もない」と彼は言い、さらに彼女がはるばるイングランドまで来ていなければ、また彼女が自身の敵のだれかと結婚する恐れがなければ絶対に結婚しなかったとまで発言したとも伝えられている。

 ヘンリー8世はアンと結婚したものの、結婚生活はわずか数カ月しか続かなかった。二人の婚姻はそもそも成立していなかったとして、1540年7月9日に無効とされた。

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