飯炊き3年、握り8年。時間をかけ、技と匠を極める寿司職人の世界。これまで「男性の仕事」と考えられてきた寿司職人だが、最近では女性も活躍を見せている。
 本格的な江戸前寿司を“立喰い鮨スタイル”で提供する「立喰鮨 銀座おのでら」で働く岩井瑞帆さん(37歳)もその一人だ。

 元々は根っからの“ハワイ”ラバーだったという岩井さん。そこから寿司職人の道に目覚めた理由や、女性ならではの苦労を乗り越え、一人前になるために取り組んできたことについて、くわしい話をうかがった。

◆おにぎり職人から職を転々…

 岩井さんは大学時代、寮生活を送っていたが、いっとき体を壊してしまい、何も食べられなくなった時期があったという。

 そんな岩井さんを見かねた寮母の方が、焼きおにぎりを作り、食べさせてくれたのがきっかけで、お米が好きになったとか。

「口に入れた瞬間、『こんなにお米って美味しいんだ』と思うくらい感動して、思わず涙が溢れてきたんですよ。実家はお米農家を営んでいるんですが、あらためてお米のすごさに気づいたんですね。

 それ以来、自分の中で『おにぎりで人をハッピーにしたい』という思いが募るようになって。大学の卒論も『おにぎりの力』をテーマにした研究をしていました」(岩井さん、以下同)

 新卒では旅行会社に就職したものの、おにぎりへの思いを捨てきれずに1ヶ月で退社。おにぎり職人を目指し、関西のおにぎり屋で働き始める。

 最初はアルバイト勤務を経験後、大阪の米屋「ガッツ!うまい米橋本」が運営していたおにぎり屋(現在は閉店)に正社員として入り、店長を任されていた。

「職場にも恵まれ、おにぎり職人として頑張っていたんですが、現在のような“おにぎりブーム”ではなかったので、売り上げの目処が立ちませんでした。『おにぎりは安くて当たり前』と言われていた時代で、先々を考えると異業種でキャリアを積んだ方がいいと思い、フェイシャルエステの会社へ転職したんです」

 その後、EXILEのファンクラブツアーでハワイを訪れたときに、ハワイの魅力にハマり、現地でツアーガイドの仕事を2年間やることになった。

◆ハワイ帰国後に目指した寿司職人の道「おにぎりと通じるものがあった」

岩井瑞帆 紆余曲折の人生を歩んできた岩井さんだが、転機になったのはツアーガイドの会社を経営する社長の一言だった。

「日本へ帰国するタイミングで、何をやろうかと考えていたときに『これからの時代、アメリカは寿司職人の需要が高くなる』と社長に教えてもらったことを思い出したんです。おにぎり職人をやっていたので、寿司職人にもなるのもいいなと思い、帰国後は『GINZA ONODERA 鮨アカデミー』へ入学しました」

 岩井さんは6期生として鮨アカデミーへ入学。全13名のうち、唯一の女性として寿司職人の基礎や心構えを学習した。

「シャリの仕込みや魚の捌き、握りなどをひたすら学びました。自分は不器用、で、人の倍はやらないと身につかないと思っていたことから、必死に体に染み込ませようと頑張りましたね。

 ただ、アカデミーに入って一番良かったのは、『仲間との繋がりを得た』ことです。今でも連絡を取り合うなど、私にとってかけがえのない財産になっています」

 おにぎりと寿司の共通点は「ふんわりと握ること」と「一つひとつに愛を込めること」だと語る岩井さん。

 アカデミー卒業後、数ヶ月を経て「鮨銀座おのでら 総本店」へ就職が決まった。ここから寿司職人としての修行が始まる。

◆生粋の寿司職人から学んだ「覚悟」と「流儀」

岩井瑞帆 寿司職人の見習いとして、岩井さんが任されたのが「手子(テコ)」の仕事。

 カウンターの前菜や器物をセットしたり、お客様へのお土産を準備したりと、寿司職人をサポートする役目を担うポジションである。

 そんななか、入社後3日目に親方から「カウンターに立ってくれ」といきなり言われたそう。寿司職人を長年続ける先輩と、同じ空間に身を寄せることになった岩井さんは「かなりの“圧”を感じた」と振り返る。

 ある日、最も怖いと思っていた先輩と2人きりに……。

「それで、お前はいつ辞めるの?」

 先輩の言葉にはっぱをかけられた岩井さんは、負けず嫌いな性格ゆえに「辞めません!」とキッパリ言い放ち、“絶対に寿司職人になる”と本気のスイッチが入ったという。

「怖いと引け目を感じていた先輩が、いちばん教えてくれましたね。心に響いたのが『文句言われたくないなら、言われないような仕事をしろ』という言葉でした。やるべきことをきっちりする。与えられた仕事のプロフェッショナルになる。

 つまり、手子の仕事もろくにできない自分が、先輩から握りやさばきを教えてもらうこと自体、筋が通っていないわけです。だからこそ、血の滲むような努力をしないといけないと思いましたし、まずは目の前の仕事を完璧にこなすことを意識しました」

◆おしゃれは我慢し、体力勝負の毎日。女性ならではの苦労を乗り越えて

 休日も練習用の魚とシャリで寿司を握る練習を重ね、一人前の寿司職人を目指した岩井さん。どんなに辛いこと、悩むことがあっても、尊敬する先輩から助言をもらい、常にモチベーションの維持を心がけていたそうだ。

 だが、寿司職人を目指す上で、“女性ならでは”の苦労があった。いかにして乗り越え、寿司職人としての腕前を磨いていったのか。

「女性なら誰だって楽しみたいはずの髪の毛やネイルといった“おしゃれ”は我慢する必要があると思いますね。ハワイが好きだった頃の自分と、今の自分では全く雰囲気が違うんですよ(笑)。また、女性は体調が変わりやすく、生理のときは長時間働くのが辛かったですね。立ち仕事や階段の上り下りなど、本当に体力が必要で、慣れるまでは苦労しました。

 あとは仕事と子育ての両立も大変です。寿司職人は仕事柄、例えば子供が急に熱を出したときには休みづらい。子育てに対して職場の理解が必要なわけですが、銀座おのでらには育休制度が充実していて、私はその制度を活用していました」

 岩井さんは、寿司職人の仕事においても「子供の存在がパワーになっている」と話す。

 育休制度が終わる頃、「銀座おのでら」運営元の(株)ONODERAフードサービスの社長から「立喰いスタイルのお店に立てば、ファンが必ずつく」と勧められ、岩井さんは表参道の「立喰鮨 銀座おのでら」で働くことになった。

◆“女性寿司職人”のロールモデルを目指して…

岩井瑞帆 新天地での活躍を期待しての抜擢は見事に的中。

 現在は、常連客から「瑞帆の寿司が食べたかったら会いに来た!」と言われるほど、岩井さんはお店に欠かせない存在になっている。

「板場に立てば、自然とアドレナリンが出るんですよ」

 自分が握った寿司が「美味しい」と言われたときは、自分のエネルギーになり、やる気につながるそうだ。

 また、本店で学んだ洞察力も意識していると岩井さんは話す。

 お客様の顔色や所作、機微を見て、次の行動を予想したコミュニケーションを取ることで、お客様を待たせないように配慮している。まさにプロフェッショナルの仕事を日々全うしていると言えるだろう。

 今後の展望は「海外で寿司を握り、老若男女、人種、貧富関係なく、世界中の人にハッピーを届けること」だと岩井さんは述べる。

「寿司職人は終わりのない仕事だと思っていて、死ぬまでやり続けるつもりです。生涯修行の気持ちを持って、寿司の握り手として魂を高めていきたい。将来の夢は、『寿司を食べたくても食べられない人に、寿司を振る舞うこと』です。

 自分が何も食べられない時におにぎりから力をもらったように、『生きていることの幸せ』を伝えられるようにしたいですね。そして、世界中に女性の寿司職人を増やしていく。自分がそのロールモデルとなり、自ら道を切り拓いていきたいと思っています」

 岩井さんは、まずはアメリカの温暖な地域を拠点に、世界で活躍する女性寿司職人を目指しているという。

 まだまだ男性が主流の寿司職人にとって、岩井さんのような存在は、業界に新風を起こすきっかけになるのではないだろうか。

<取材・文/古田島大介、撮影/藤井厚年>



【古田島大介】
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている