インターネットを通じてさまざまな情報やコンテンツに触れられるようになり、誰でも気軽に発信することができる社会になった今、デジタルネイティブなZ世代の若手アーティストたちは、かつてない自由な表現の世界で多様な形で活躍を魅せている。
 本連載では、同世代でアートについて学び、表現している1人として、大学院に通いながら自身で立ち上げたアイドルグループのプロデューサー兼メンバーとして活動している私、えんじてゃ(@noidol_teya)が彼らの物語に耳を傾け、アートが彼らの人生にどのように絡み合うのか? また直面する苦悩や、創作を続ける理由に迫る。

 今回話を聞いたのは、東京藝術大学芸術学部デザイン学科に所属する流太さん。言わずと知れた日本最難関の美術大学に通う彼は、もともとは静岡大学に通っていた。絵を描くことも趣味ベースで、美術予備校に通うまでは未経験だったという。国立大学に通っていた彼が“安定した人生”を投げ打ち、アートに向き合うようになった過程に加え、現在の生きざまについて語ってもらった。

◆「偏差値の高い高校」へ進学し、美術の道から遠ざかる

 初めて絵を描いたのはいつなのかと尋ねると、少し悩む様子を見せた。小学生の時には既に絵を描くのが好きで、得意だったという。物心ついたころからひとりでに絵を描いていた流太さんは、こんなふうに自分を俯瞰する。

「東京藝大の教授も言っていましたが、藝大生は『幼少期から大人になるまで、自身の創作に対してたまたま批判的な意見を受けなかった人たちの集まり』なんですよ。もちろん自分もそのなかのひとりで、周りに自分の作ったものを褒めてくれる人が多かったんです。運動が苦手だったこともあり、絵を描くことは、自尊心の形成に重要な役割を担っていたと思います」

 だが、中学生時代に学業成績が優秀だった流太さんは、地元である島根県内の「偏差値の高い高校」へ進学した。これまで絵に親しんできた人生はそこで一時停止し、美術の道から遠ざかっていく。

◆興味本位で「藝大の合格作品」を見てしまい…

 一方で、辛酸も舐める経験も。学業成績順に振り分けられたクラスのうち、進学クラスと普通クラスを行き来した。勉強に対して「躓いた」というこれまでになかった認識を持たざるを得なかった。

 もちろん高校にも美術部はあったが、体験入部止まり。絵が好きだという気持ちがあったものの、粛々と絵を描く雰囲気が魅力的に感じられず、本入部には至らなかった。美大進学も視野に入らなかったという。

「美術系の道に興味はあったのに、とても現実的だとは思えなかったんですよね。周囲には美大に行く友人もいなかったし、高校の先生からは国公立大学以外を勧められませんでした。興味本位でネット上で藝大の合格作品を検索しましたが、作品のクオリティの高さに驚いて……。こんなにうまくなれるわけがないし、自分とは世界が違うと思ったんです」

◆この大学に4年間も居たら「人生はつまらないんじゃないか」

 結果、現役時代は進路指導の方針通りに勉強し、前述の通り静岡大学教育学部に進学した。学校のカリキュラムをこなし、国立大学への進学を叶えるも、高校時代は閉塞感を抱えて生きた。静岡大学にたどり着いたのは、結局のところ、自由な環境を追い求めて都心部に行きたいという気持ちと、当時の学力との兼ね合いによるところが大きい。

「勉強はそこまで好きではありませんでしたが、さりとて偏差値レースを拒絶するほどに進路に対して固まった意思もなくて……。結局、『ライ麦畑で捕まえて』という小説の登場人物に影響され、迷う子どもを助けられるような存在になりたいと思い、教育学部を選びました。今思えば浅はかな考えだと思います。

 私にとっての大学生活の始まりは、新入生歓迎会で受けた悪質なドッキリ。オリエンテーションで1年生の中に先輩が紛れてるという内容なのですが、緊張しながらも周りとこれからの人間関係を必死に築いている新入生の気持ちを尊重してないと思いましたし、僕らの驚いた顔を見て楽しそうにしている上級生に嫌な印象を抱きました。男性の先輩が『女子学生の中で誰が一番可愛いと思う?』と聞いてきたのもとても不快になりました。なんでそんなことを聞いてくるのか、自分も来年再来年にはこうなるのか、と。

 その後も大学生活は思ったよりも楽しくなくて、『とにかく何かしなきゃ』という焦りだけはあるのに、授業も課題も全くやる気が起きず。このままこの大学に4年間も居たら、人生はつまらないんじゃないかと、不安でいっぱいでした」

◆休学して東京の美大予備校に通うことを決意

 大学入学以降、焦燥感だけが募る日々が続いた。しかし、その時間は無駄にはならなかった。興味関心を見つめ直し、自分自身の人生に深く向き合うトリガーを引く出来事になったのだ。

 当時、流太さんは、NHKが主催する『18祭』という、18歳世代の様々な想いを聞いて大物アーティストが新曲を作るイベントに向けて、2×5mの大きな絵を描くパフォーマンス動画の撮影に取り組んでいた。大変だったが楽しい――そんなポジティブな感情が、流太さんの「絵を描きたい」という気持ちに火をつける。おのずと封印していた東京藝大への思いもぶり返し、家族を説得した末に、大学を休学して東京の美大予備校に通うことを決意。

「浪人して最初の時期に一番辛かったのは、周りとの実力差。一般的な大学受験で喩えるなら、偏差値50くらいなのに東大コースの授業を受けちゃった感じです。今まで周りから『絵が上手い』としか言われてこなかったわけですけど、予備校内では圧倒的に最下位という実力からのスタートで」

 無理もない。流太さんは美大予備校に行くまで、美術部に所属したこともなければ、誰かに絵を教えてもらったことすらない状態。

 とはいっても逆境から始まった浪人生活の苦みも、いま振り返ると心地よさが残っているという。

「上手く描けなくて精神的に辛くなることや休みたい日はありました。けれども、モチベーションが下がったり、放り出したくなるようなことはありませんでした。逃げ場はないし、描くしかない。制作し続けられる環境が幸せだと思って」

◆東京出身者に対するコンプレックスが徐々に…

 浪人期間は、流太さんにとって「生まれ直した」とさえ思うくらい、自身の内面の変化が著しかったのだという。

「予備校時代、東京出身の人に対する格差のコンプレックスが苦悩の中心でした。美大に通うための予備校は東京に偏り、地元では選択肢が限られていましたから。しかし、自分が羨望している東京出身者であっても、予備校の前後でバイトして通っていたり、そもそも1年間通い続けるお金もないから、前期の間にお金を貯めて後期からようやく来れたという人もいました。『20代半ばにさしかかり、今年がラストチャンス』と、後がない人もいれば、持病があって予備校に通えなくなった人も。ずっと自分のことでいっぱいいっぱいでしたが、みな切実な思いと事情を抱えてここに立っているのだと知りました。

 予備校で過ごしてると、“予備校にいる人”のことしか見えてきません。ただ、色んな理由で“ここにいたくてもいられなかった人”は、出身がどこだろうとたくさんいるんですよね。そう考えると、僕は少なくとも自分がここにいられることに感謝するべきですし、一緒に戦える彼らに対しても感謝し、リスペクトするようになりました。彼らの作品を毎日見て、勝ったり負けたり、喜んだり悔しがったりの繰り返しの中で、お互い上手くなっていくのです。そうしてだんだんと、『全員蹴落としてやる』という思いが薄れ、『みんなで一緒に受かれたらいいよね』といった境地に達していきました」

◆「自分がやりたいこと」と逆方向に向かってる気が…

 アルバイトをしながら予備校に通うことになった2020年、新型コロナウイルス感染症によって世界は混乱した。逆境のなか、3年にわたる浪人生活を泳ぎきり、晴れて東京藝術大学合格を掴んだ。

 入学当初の流太さんは将来、制作したものの売り上げで生活する職業作家になりたいと思っていた。実際にコンペに参加したり、展示会を開いて作品を販売するなど、精力的な活動を続けた。しかしながら、作品が高値で買い取られる現実に喜びを感じる一方で、制作の意味について考える機会が多くなったという。

「有名になればなるほど、美術作品がより裕福な人に買われて、それが作家として成長していく契機になると思います。しかし、自分は逆境に臨む大変な人、例えば地域格差だったり、お金がなくて苦しい思いをしている人に向けて創作物を生み出すことが多いんです。当時の状況は、自分がやりたいことと逆方向に向かってる気がして。単に高いお金で買ってもらうことが『本当に幸せなんだろうか』と悩んでしまったんです」

◆「作家として生きていく」よりも大事なことに気づく

 自身が生み出した作品が、世に出たあとにどのような人に買われるか――その度合いは、作家によって当然異なる。流太さんは、誰かのことを思い浮かべながら作品を作ることが多いため、美術に精通した一部の富裕層ではなく、市井の人々に届けたいという思いが強いのだという。

「ある教授が『一枚のすごい皿を作ったとして、それがわかる人にだけわかればいい』と言っていたけど、あまり共感できなかったんです。私はどちらかというと、100均のお皿でもいいから多くの人に届けたいと思うタイプの人間です。もしかすると、やりたいのは職業作家ではないのかもしれないと思い始めました」

 現在、学部3年を迎える流太さんは、エンタメ業界を中心に就職活動をしている。個人での制作よりも、企業でクリエイティブ職として勤めることで、自身が手がけたものが多くの人に届くと考えた結論だという。その選択は、アートを諦めたというネガティブな類のものではなく、より建設的な思いから発せられたように感じる。

「『作家として生きていく自信がなかったわけではない』と言えば嘘になるけど、それよりも大事なことがあると思って、選んだ道です」

 繊細でありながらも強さを秘めた彼の姿勢は、表現の多様性と内省的な探究心を映し出している。たとえ職業作家の立場でなくても、彼のエッセンスが散りばめられた作品は、多くの人を魅了するに違いない。

<取材・文/えんじてゃ>



【えんじてゃ】
アートとアイドルが好きな大学院生。過酷な幼少期をバネにアイドルプロデュース(アイドル失格)を中心に様々な制作に励んでいる。SNSまとめ