伊藤信太郎環境相(71)が熊本県水俣市で水俣病の被害者団体と懇談した際、同席した環境省職員が団体側のマイクの音を切って発言を遮った問題。環境省は7日、発言の持ち時間3分を経過したため、発言者2人のマイクの音を切ったことを認め、伊藤大臣や水俣病対策を担当する環境省職員らが8日午後に同市を訪れ、被害者側に謝罪する。

「最後まで聞いてほしい」ーー。問題が起きたのは水俣病の公式確認から68年を迎えた1日。水俣病の犠牲者を追悼する慰霊式の後に行われた、伊藤大臣と患者や被害者でつくる8団体の代表との懇談だった。団体側がコメントを述べていたところ、環境省職員が話の途中にもかかわらずマイクの音を切ったり、マイクを回収したりしたのだ。

 この懇談は毎年行われていて、環境省によると、一定時間を超過すればマイクを切る運用だったという。林芳正官房長官(63)は7日の会見で「不快な気持ちにさせてしまったことは適切な対応ではない」とコメント。同省も「(今後は)円滑な運営を検討する」などと説明しているが、そもそも、伊藤大臣や環境省側が、この懇談がなぜ毎年開かれているのかという意味を理解していたのかどうか疑問だ。

■行政の取組の在り方やその責任を含め、水俣病問題が持つ社会的・歴史的意味について総括する必要がある

「水俣病は我が国の公害問題ひいては環境問題の原点であり、また、日本の戦後社会史の中でも極めて重要な問題である」「水俣病関西訴訟最高裁判決も踏まえ、本問題に対するこれまでの行政の取組の在り方やその責任を含め、水俣病問題が持つ社会的・歴史的意味について総括する必要がある」「未だ現在進行形の問題である水俣病問題への対応にとって重要であることはもとより、行政としての過去の反省を含めた水俣病の経験と教訓を後世に引き継ぎ、国内そして世界に発信していく上で大きな意義があることと考える」

 環境省は2005年4月から「水俣病問題に係る懇談会」を開催。その意味と目的、趣旨についてこう説明していた。そして翌年9月に同懇談会まとめた提言では『国民のいのちを守る視点を行政施策の中で優先事項とすることを行政官に義務づける新しい「行政倫理」を作り、その遵守を、各種関係法規の中で明らかにすること』『とくに苦しむ被害者や社会的弱者のいる事案に関しては、行政官は「行政倫理」の実践として、「乾いた3人称の視点」ではなく、「潤いのある2.5人称の視点」をもって対処すべきことを、研修等において身につけさせること』などとある。

 戦後史に残る公害、環境問題が起きた反省から、行政や行政官が地域住民の意見をよく聞くことが何よりも重要——と総括されているわけで、それなのに環境省職員は「聞くフリ」をして「時間だから」と自分たちの都合を優先させたわけだ。

 「聞くフリ」といえば岸田文雄首相(66)も同じだ。2021年の自民党総裁選に立候補した際、「自民党に声が届いていないと国民が感じ、政治の根幹である信頼が崩れている」と言い、特技について「人の話をよく聞くということ」などと語っていたが、今では「聞き流す力は天下一品」などと揶揄する声ばかりだ。

《親分が親分なら子分も子分》《今の政権の実態を表しているな》

 今回の問題で、SNS上でこんな声が出るのも当然だろう。