2023ー24年の期間内(対象:2023年12月〜2024年4月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。箱根駅伝インタビュー部門の第5位は、こちら!(初公開日 2024年1月7日/肩書などはすべて当時)。

 2016年に箱根駅伝の連続出場が87回で途切れた中央大学。その年に入学し、1500mなど中距離で活躍していた3年生・田母神一喜に藤原正和駅伝監督からあるオファーが来る。「チームに戻ってきてくれないか」。卒業後の2021年に800m日本王者となる中距離ランナーの足は、最終学年で駅伝へと向かう――。(Number Webノンフィクション全3回の第2回/初回はこちら)

11位のチームから加入を求められる

「確か、大学3年の1月ですね。堀尾(謙介、プロランナー)先輩らがいる中で、シードが取れると言われながら11位だった。もう一つ上に行きたいけど、何かが足りない。僕らの代って弱かったので、舟津(彰馬)だけが力を持っていて、やり合う相手がいなかったんですね。それで寮に戻ってきてほしいということだったんですけど……」

 そう簡単に返事はできなかった。戻れば環境も変わり、中距離に特化した練習はできなくなる。一方で、その期待に応えたい自分もいた。どうしようかと迷っていたとき、ヒントをくれたのが横田(真人)コーチだった。

「話をしたときに、今の環境は誰が作ってくれているんだということを言われたんです。大学の外に出て、お金も出してもらって、こんな環境を許してくれる大学は他にないぞって。確かにそうだなと思って、いただいた恩をここで返そうと。それで2月に寮に戻って、主将も引き受けました」

じゃあ、思い切って箱根をやりなよ

 舟津の負担を軽くする目的もあったのだろうが、監督は新キャプテンに田母神を指名した。茨の道の始まりだった。

「2年生の10月で寮を出ていたから、1年生とはまったく関わっていなくて。それですごい怖がられてしまって……。しかも、練習も同じメニューではないし、僕が主将になってから結果も出なくて。かなりきつかったですね」

 後輩との溝を埋めるため、練習前にはなるべく自ら話しかけるようにした。チームの一体化を図ったが、全日本大学駅伝の選考会は1年時に続いて出場を逃した。個人でも日本選手権で予選敗退に終わり、五輪の夢は遠のいた。

 自分はキャプテンとして何をすべきなのか。今度も横田コーチに悩みを打ち明けると、「じゃあ、思い切って箱根をやりなよ」という答えが返ってきた。田母神は決心する。

「簡単じゃない!」「お前がちゃんと走れていたら…!」

「やっぱり口で言うだけのキャプテンと、一緒に走ってみんなと苦楽を共にするキャプテン、どっちが良いかと言えば明らかに後者なんですよ。それで僕は箱根を目指すことにしたんですけど、反対したのが舟津で、『お前はやるべきじゃない』と。舟津もトラックで戦ってきたので、おそらく中距離と箱根を両立することの難しさをわかっていたからだと思うんです。でも、『お前が考えているほど簡単なことじゃないから』って言われてカチンときて(笑)。僕も舟津に『お前がちゃんと走れていたらこうなっていないだろ』って強く言い返したんですね。見ていた後輩たちはみんな凍りついたようにシーンとなっちゃって。あれはけっこう印象深いです」

1カ月に走り込む距離は3倍以上に増えた

 熱量の高い二人が本気でやり合う。ある意味ではそれも監督が期待したことであったのだろう。静かだったチームに闘争心の灯がともる。田母神は主将として腹をくくった。7月のレースを最後に中距離を封印。箱根に向けて、長距離の練習に舵を切ったのだ。

「中距離の選手にとって箱根の20kmの距離はもう別物で、たとえて言うなら100mの選手が5000mを走るくらいの感覚なんです。中距離で世界と戦うには1km2分40秒を切るくらいのスピードが求められるんですけど、箱根はむしろ1km2分55秒とかでずっと押し切らないといけない。まったく違うんです」

 1カ月に走り込む距離は3倍以上に増えた。オーバーワークになって熱を出し、監督にダメ出しをされたこともある。舟津も調子を崩しており、夏合宿に4年生が誰も参加できないというまずい時期もあった。それでも夏合宿の後半から調子を上げていくと、9月にはAチームで練習を積めるようになった。変化は突然表れたという。

10区の起用をほのめかされていた

「9月の北海道合宿でいきなりですね。16km走があったんですけど、突然チーム内で5番とか6番で上がれて、舟津と同着ぐらいでゴールできたんです。その時やっとチームメイトから認められた気がして、自分でも手応えを感じられました」

 10月の箱根予選会は欠場したが、チームは辛うじて10位通過。11月の上尾ハーフで、田母神は1時間4分台に迫る1時間5分フラットの好タイムをマークする。さらに12月の10000m記録会で29分30秒91の自己ベストを出し、いよいよ箱根に向けて準備は整った。

 この時点で、監督からは10区の起用をほのめかされていた。4年生が覚悟を持って最後の区間を締めくくる。狙うのはもちろん、8年振りのシード権獲得だった。

10区に起用されたのは、同じ4年生の…

 だが、短期間でむりやり長距離仕様に足を作りかえてきた無理がたたったのか、直前で田母神は調子を崩してしまう。

「疲労もけっこう来ていて、12月半ばからの最終合宿で調子を上げられなかった。監督たちも迷ったと思います」

 監督が区間エントリーを決めたのは、12月28日のこと。10区に起用されたのは、尻上がりに調子を上げてきた、同じ4年生の二井康介だった。

 約半年間、箱根出場だけを目指して努力してきたが、その思いは叶わなかった。

先輩、一緒にゲームやりましょうよ

 田母神が寮の部屋で涙を拭っていると、「先輩、一緒にゲームやりましょうよ」と後輩たちがやってきた。彼らなりの励まし、気遣い、それが嬉しかったと話す。

「でも、僕の部屋の前にスリッパがたくさん並んでいて、ゲームに気づいた監督から『こんな時に何やってんだ』ってめちゃくちゃ怒られました(笑)」

 なかなか気まずい年末を迎えたと言うが、年が明ければ、大一番が待っていた。

 <つづく>

文=小堀隆司

photograph by Takuya Sugiyama